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1999/07/02 悪石島出発、諏訪之瀬へ向かうが、波が高く、悪石島へ戻る。

午前8時20分に事務局に入った連絡。「8時25分出発、諏訪之瀬島へ向かう。途中にある瀬を迂回するので、直線距離は20kmだが、航海距離は30kmほどになる。天候は曇り、南西の風。波も高い。二人とも元気」

余談だが、諏訪之瀬はその昔、観光開発と自然保護の対立構造で世界的に注目されたことがある。かの、アレン・ギンズバーグも反対を唱えた一人だった。このことから、アメリカなど諸外国でも、この島の名を覚えている方もおいでかと思う。

さて、気象条件などの厳しいあたりになってきた、と無事を祈ってると、8時58分に河野から再度連絡あり。「悪石島を出発し、沖に出た。が、波が高いので、悪石島に戻った。本日は悪石島に停滞する」とのこと。無事が一番。

20時30分に入った連絡によれば、「8時25分に出港したが、沖に出ると4~5mの波と短い周期のうねりがあった。シーカヤックの前が持ち上がる状態で、危険なので引き返した。今回の遠征に米田が参加してくれて良かった。最高の相棒で、安心出来る。シーカヤックの調子もいい。パドル、装備にも問題はない。アマチュア無線を試みたが、交信できなかった」。「後少し決断が遅れていたら、かなり危険な状況だった」という。

「6月27日は、名瀬から宝島の間でサメに遭遇した。漕ぐのが大変で恐怖は感じなかった」。

「今日は役場の職員の方が島を車で案内してくれ、島を一周した。対馬丸の慰霊碑に行き手を合わせた。昭和19年(1944年)8月22日に、沖縄の子供たち700人と一般客1000人を乗せた疎開船が、沖縄から鹿児島に向けて航行中、悪石島の北西沖でアメリカ軍の潜水艦に撃沈されたことは、皆さん良くご存知だろう。(1997年の潜水調査で船体も発見されている)」。 Photo: 対馬丸慰霊碑
akuseki_school.jpg (6099 バイト) 「今、島には小学生が4人いるが、中学生はおらず、高校進学には鹿児島へ出るそうだ」。

「天気は曇り、今、雨が降ってきた。今日は港でテント泊。夕食は、ご飯・サバの味噌煮の缶詰。今の気象状態だと、明日の出港は難しいだろう」

…ということで、明日の朝、連絡が入り次第、またこのページでもご報告。とりあえず、二人は無事。天候の回復を待って、冒険航海は続く…。

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