人間というのは勝手なもので、なくなりそうだと言われると欲しくなる。ランドローバー(ディフェンダー)も、倒産の危機に遭遇しながらも、今日まで生き延びた。だが、製造台数は同社が製造する年間40万台のうち、僅かに1万5千から2万台。工場の空間と時間を割くには、もはや間尺に合わなくなってしまったのだ。
その誕生が戦後だったことから、ランドローバーにはジープとはまた違ったキャラクターイメージが生まれた面がある。軍用にも採用されたが、農場で使われる英国の、戦後復興の一翼を担った移動動力源という性質が強い。女王陛下が自ら運転されたことで、その立ち位置には風格も備わった。日本でも、かの白洲次郎氏が奥只見の多目的ダム建設現場視察で山野を駆け回るのに使われた車こそ、ランドローバーだった。

当時在住していた福岡から東京まで、走行距離約1200kmを走り抜くのに、実は、このランドローバーが最速だった。高速道路なんてクロスカントリー四輪駆動車の専門外のように思われるかも知れないが、安定したフルタイム4WDによる走行という恩恵があったのだ。
ボディはアルミ。但し、そのアルミパネルは鉄のフレームにリベット止めされていたりするので、電荷が違うために、長い歳月のうちに錆びが出る。アルミボディがもたらす低重心は、傾斜しても安定した状態を保ちやすいのだが、熱伝導が良いため、夏はたまらない。ちょっと低めの温度かな、という程度の風がそよそよ吹き出してくるクーラーしかなくて、うちわを常備していた。鬼のように重いクラッチは、左足を鍛えるのに好都合。油が漏るのは入っている証拠、雨が漏るのは英国の伝統と諦めていた。

そんなランドローバーと暮らす日々は、銀塩カメラの日々と比喩できるかも知れない。デジタルカメラ全盛の今日だが、銀塩フィルムでの写真撮影経験はちゃんと踏まえたほうが良い ─ 思い通りになるまでには時間がかかっても、叶ったときの喜びは大きいし、身についたものは必ず、何かの役にたつ…そんな感じだ。
しかし、もはやそれも郷愁となって行くのだろうか。否。日本にも今では、正規・並行ともに相当数のディフェンダーがある。大事にされているのだろうそれらは中古価格も高止まりしていて、67年前から幾つものモデルの車体が現存しているのと同様、残って行くのだろう。さらには、LRO誌のWeb記事によれば、70周年にあたる2018年には新モデルとしてのディフェンダーが出て来る可能性があるらしい。
もちろん、衝突安全性一つをとってみても、もはや旧態依然とした今までの車体での製造は叶わない。きっと、ミニやチンクチェントがイメージを残しつつ今時の車としてリバイバルしたような、そんな印象のものになるのだろうと想う。それでも、軍隊とはまた違うフィールドで、オフロードの移動を必要とするマーケットは確実にあり、そこでは虚飾は要らないのだから、きっと「やはりランドローバー・ディフェンダーだね」と言えるような車になるのだろうと、そう思いたい。
今でも、町中であの箱を見ると、遠くからでもハッとする。それは、無機質な今時の車が溢れる道路にあって、血の通った生き物が動いているような錯覚を覚えさせるからだ。そして、良い道具とは、そぉしたものだろう。ランドローバーはきっと、使い手が命を吹き込める機械なのだ。
今は、自動車が自動運転へと向かう転換期に入った、その初っ端の時期だ。一つの区切りとして、67年もの間製造されてきたものがその役割を終えるのも、已むを得ぬことなのだろう。それでも既に、67年「もの間」、いかついスタイルであり続けた道具としての四輪駆動車の存在は、美しいレィンジローバーと双璧を成し、永遠に歴史に刻まれているのである。

▲ 英国デビッドボウヤーオフロードスクールの隅でレストアを待っていたLand Rover Series I
Posted by nankyokuguma at 16:42:12. Filed under: Vehicle
