九州在住の人でなくとも、くじゅう山への登山で、その昔、登山ガイドよろしく道を率先して上ってくれる犬がいたのをご存じの方は少なくないのではないだろうか。中には、登山道に迷いそうなところを、ガイド犬のお世話になった方もおありだろう。その犬とは…
平治号。1973年、長者原登山口に捨てられていた、メスの秋田犬だ。バスの切符売りをなさっていた方が、この捨て犬の面倒を見始めた。やがて、お弁当を分けてもらえるといったことからだろう、登山客と一緒に登るようになった。そんなある日、九重連山に慣れていない夫婦が道に迷ったところに現れた白い犬が、長者原登山口まで夫婦を案内。命拾いをした夫婦は、皮膚病を治して、とお金を置いていった。
お陰で皮膚病も完治した平治号は、能力に気付いた飼い主と訓練を重ね、体格もしっかりした頼もしいガイド犬に成長した。
人に向かって吠える、噛むといったことはなく、登山客のペースに合わせて先頭を進む。分岐では必ず立ち止まって、待つ。そうして、平治号は、ガスにまかれたり、吹雪で立ち往生しているといった登山者を救ってきた。
私も一度、平治が率先して歩くくじゅう登山を楽しんだことがあるが、立派なガイド役だったのを、今でも記憶している。そんな能力が広く知られるようになり、登山客の人気者になった平治。13年目頃から衰えが見え始めたものの、山好きなのか、いつまでも登ろうとしたが、1988年6月11日に、山開きの前夜祭で引退式が行われ、平治の首輪は2代目となるチビの首に。同年8月3日の早朝、星生キャンプ場までキャンパーを案内して倒れ、帰らなかった。飼い主は、「長い間、ご苦労だったなぁ、ありがとう平治」と心の中でつぶやきながら、登山口まで担いで降りたそうだ。
現在、登山口の平治の像の横には、「平治の墓」があり、登山客が手を合わせている姿が見られる。人間でも難しい…いや、不可能なことを、14年間やってきた平治。その生涯は、一冊の本にまとめられている。ありがとう!山のガイド犬「平治」 (わたしのノンフィクション 13) 坂井 ひろ子 著・かみや しん イラスト・偕成社刊である。
2006年3月に「自然公園法及び自然環境保全法の一部を改正する法律案」が閣議決定され、第171回国会で成立した。この生態系維持回復を目的とする法律により、本来の生息地以外への動植物の放出が禁じられ、もはや、日本の、自然公園に指定された山おいて、平治のようなガイド犬と会う可能性はなくなった。
私もたまに六甲山にCub連れで登る。だが、六甲山じゅうを子犬の頃から歩き回れば、立派なガイド犬になる ─ とは限らない。ノーリードで走り回らせでもしていたら、そのうち猪にやられるのがオチだろう。六甲山の現在の問題は、ペットだったのが放たれて異常繁殖しているアライグマだが、これの駆除にもたいした役にはたちそうにない。瀬戸内海国立公園の一部なのだけれど、もともとの植生も明治には既にほとんどなく、残っているのは数パーセント。今の緑は人工植生である上に、1000基を越える砂防ダムがあり、まだまだ砂防ダムの造成が続いている。
犬が徘徊したら自然破壊で、動物の生態系を乱すだの、病気を野生動物に移すだのと指摘する向きがある。それもまぁ、分からんでもない。だが、きちんと管理された犬が飼い主と散歩登山するのは、果たして禁止されるべきことなのだろうか。雪崩の遭難者を捜索する犬や、山で迷った登山者を捜す犬など、海外では犬との共存が上手に図られているように思う。そんな役立つ犬たちの背後には、それを可能にする多くの、アウトドアフィールドで過ごす犬たちの存在があるはずではないか。
脱線だけど、アメリカの某国定公園のキャンプ場でキャンプしていた時のこと。お隣さんの老夫婦キャンプに、コワモテのボクサー犬がいた。なかなか良く躾けられていたが、時折何かに向かって吠えていた。翌朝、それまでの元気はどこへやら、ショボンとしているボクサー君。時折、自分の臭いをクンクン嗅いでは、うなだれて伏せる。聞くと、スカンクの最後っ屁をかけられたそうな。そりゃあ、鼻の良い犬のことだけに、さぞかし嫌だろう。持ち合わせていた図鑑でスカンクを調べ、トマトジュースが良いらしいよと、その箇所をお見せすると、老夫婦は早々にキャンプを撤収し、町へ降りて行かれたのだった。あの情けないボクサー君の顔…いや、笑っちゃいけないのだけれど…
さて、本当は、例えば六甲山なら、想像を絶して迷う人が多い山なので、ガイド犬やレスキュー犬が数頭いたって良い。だが、いかんせん猪という先住動物が幅をきかせている。猿が迷い出たときなどは、カラスがよってたかって他所へ追いやっていたけれど、犬を追い払う様子は、ない。が、それより何より、犬には少なくとも、人間よりは優れた帰巣本能があると思う。連れていれば迷わなかったのに、というケースだって、ないとは言えないだろう。山中で迷った老婆を、どこからともなく現れた犬が一夜温め、命を救ったという話は、つい先頃のことだ。いずれにしても、安直に良いの悪いのと言うよりは、熟慮を重ね、答えを模索したい課題だと思う。人と犬と自然の、上手に調和したありようがきっと、あるだろうから。
Posted by nankyokuguma at 11:02:21. Filed under: 犬と社会


