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Friday, November 16, 2007

黒ラブオフィス犬カブも、もうじき10ヶ月。その37キロの体重とパワーにやんちゃ盛りの若さの黒い塊と共に歩いていれば、嫌でも棒(考えるべきネタ)に当たる。当たるたんびに考えるが…

まとまらないことのほうが多い。

訓練と腹具合

2で努力中と書いた、タイミングを見計らって新聞紙を下に敷き込む方法は、一回目についてはほぼ100%成功する。が、二回目は50%。三回目となると、本当に難しい。というのは、一回目は場所が近く、動きや姿勢から良く分かる。二回目はまぁ、その時の雰囲気で、分かったりわからないかったり。ところが、三回目は腹具合次第であり、唐突なのだ。

散歩の時、折々に犬の前脚・肩の位置とハンドラーの体の位置が一致するようにして脇を歩かせる脚側行進の訓練をやっている。自由に歩かせている時のマテやヒクナの次の段階で、レベルが高い。リードなしの紐無し脚側行進が目標だが、案外、紐無しのほうがうまく行く場合もある。これは、リードがないと子供が手をつないでないのと一緒で、犬が不安になるから。でも、三回目のウンチに至るとき、私からはお尻のほうは見えていないので、その具合からは判断できない。まぁ、とにかく大食らいだからなぁ…。

やんちゃ盛りのカブ

リードは「つないだ手」

官吏や犬を知らぬ方々は犬はつなげと二言目には言うが、他の犬がいる場合を除き、犬は飼い主とペア状態にある。だから、リードは束縛しているのではなく、子供と歩くときに手をつなぐのと同じ感覚で使う。これを官吏のように囚人をつなぐかのように考えてしまうと、反抗的な犬になる。人間だってつながれっぱなしだったら自由を求めて反抗するではないか。一方、決して体罰は与えぬようにというが、これも、与え方とフォロー、そして日頃の絆によりけり。主が本気で怒っていることが伝わらなければ、犬はナメて次の瞬間には主が何を嫌ったのか忘れてしまい、痛みだけを恨みに思うだろう。一方、その行いの瞬間に主の機嫌を損ねたと分かれば、希望的に言えば、止める。但し、その前に主が主として、上位で対峙していなければ駄目だ。それに、しじゅう体罰を与えるのは、やはり逆効果。たいていのことは体罰なしで何とかなる。

カブに体罰で止めさせて成功したのは、側溝の中を歩くこと。雨の日に水が溜まっているから飛び込んで側溝を歩いていたのだが、体罰で止めさせた。なぜなら、側溝に流れ込むのは綺麗な雨水とは限らず、ありとあらゆる毒も一緒に流れ込んでいるから、だ。これは見事一回で止めてくれた。一方、他の犬と遊びたい衝動で引っ張る癖は、勢いは減って指の骨を痛めるほどではなくなったけれど、未だに強く、先日も雨の日に家内が引き倒されて怪我をした。もっとも、これはリードをチョーク状態で付けてなかったための失敗。もともと、大型犬は若いうちの基礎訓練に失敗すると手のつけようがなくなると言われているが、まさに、今はそのための基礎的な努力の繰り返し時期。が、それにしても、昔飼っていたメスのシェパードに比べオスだからだろう、何とパワフルなことか…リードを引く手はタコだらけだ。

いずれにしても、犬は犬種を問わずバカな犬などいない。人間にして7才程度の知能にまでは成長すると言われていることでも分かるように、手をつなぎ、愛情を注ぐことが、先ず何より大事なのだとは、シェパードを飼っていた時の経験から思うことだ。

落ち葉の登山道にて

犬社会の交際術

ドッグランでなどでの犬同士のコミュニケーションをうまくやらせるには犬同士を遊ばせることも大事なのだろうが、犬は群れを成し、その中でリーダーを決めるなどする。だから、どうしたって喧嘩しているかのような動きを見せ、飼い主を脅えさせる。年上の犬が若い犬にマズルを噛んで叱りつけるのは母親犬と同じ行動だとか、まぁあれこれある。相手の犬の飼い主の知識がどの程度か分からないから、判断に困ることもあるのだけれど、幸いにして基礎知識の豊富な方が多いようなのが、これまでの救い。それでも、ショードッグを傷つけたりしたらエラいことだ。相手の犬を見て、飼い主さんの反応も見て、と、気遣うこと、しきり。だから、カブとペアで六甲山へ登ってゆくのは、町を散歩するよりも遙かに気楽ではあるのだけれど、でもまぁ、町に暮らす犬なのだから、それなりに社交性も要るんだろうねぇ。さて、カブのドッグラン・デビューはいつのことやら。

ちなみに、カブはいつも低姿勢で相手に近づく。ベッタリと頭を地面につけて、すぐにお腹を上にして服従の姿勢を取る。「争う気はないよ、あんたが大将」ということなのだけれど、それでも大きな体だからだか何だか、小型犬は怖がったりする。だから、もう一頭、遊び相手になる犬を飼ったとしたら、さて、兄貴になったカブはどう変わるかなぁ、などと思ったりもする。

…というわけで、あれやこれや、そんなこんなで色々と試行錯誤の繰り返しなのだが、元に戻って糞の始末。新聞紙を敷き込むのに適当な大きさに切ったものを持ち歩くようにしたまでは良いのだけれど、これを始末するのにトイレに流せば、世界的に課題の淡水を使う。果たして燃えるゴミで出すのとどちらが環境にベターなのやらと、流しながらまた悩んでいる。ちなみに、新聞紙はカブの尻の下に敷くのだからカブシキ面…おあとがよろしいよぉで。