Skip to main content.

Monday, February 19, 2007

アル・ゴア元副大統領の「不都合な真実」が大変話題になっている。述べられていることは80年代末に賢者会議によって提示されたことなのだが、その頃子供だった子供たちが今大人になって、全く善処されていなかった現実を突きつけられているわけだ。当時雑誌ニューヨーカーのスタッフライターだった作家ビル・マッキベン氏の著書“自然の終焉”(ISBN 978-4-309-25050-2)が示し予言していた事柄が現実となって今、我々の前にある。

環境問題では実は、南極のロス氷棚にまつわる恐ろしい話しがある。ロス氷棚というのはそれ自体非常に巨大だが、加えて、その奥の氷の蓋のような存在になっているのだそうだ。だから、これが溶けて海へ落ちるということは、その後ろに控える膨大な量の氷の融解につながり、それらが融けた場合の海面上昇は実に5mほどにもなるという。しかも、比較的新しい情報は、これが突然として起こる可能性を示唆している。

5mも海面が上がるなら、今でさえ海抜ゼロ地帯の都市圏は……そうした土地は確かに国民の資産ではあるが、どこまで守り得るというのか。減少する人口分の生活面積が水没する地域とうまく辻褄が合うわけもない。日本のように沿岸部に都市が集中しているところで、海面水位がそれほど上昇したら…考えるまでもないことだ。

ニューズウィークが伝えるところによると、アメリカでは海岸線から80kmのあたりまでの家の保険料率が上がり、そのために家を手放す人も出始めているらしい。日本じゃ海岸線から80kmなんて離れようがあるわきゃない。ニューオリンズのハリケーン被害からしても、今まで通りの保険ポリシーでは保険業そのものが成立しなくなりだしているのだろう。なぜイギリスはテムズバリアーを今また改良し、或いは作り直そうとしているのか。今の異常気象のもとで起こりうる天災を考えれば、当然の策の一つと納得できよう。こうした動きを見れば、様々な迫り来る危機をたいがいで具体的なものとして認識するべきだと分かるだろう。「不都合な真実」を「ゴアにとって不都合な真実」などと茶化している暇はなかろうにと、私は思う。

異常気象で水害が増えだしたとき報道で良く耳にしたのは、リスクと費用対効果という課題だった。今でも、事あるごとに「千年に一度の水害のためにそれほどの税金を注ぎ込むことに理解は得られるのか」という話しを聞く。だが、前述のロス氷棚のような要素を加えてみると、コトはもっと深刻で、暮らしている街のありようを根底から考え直さなくてはいけないところに来ていると思う。無限大に堤防を積み上げ続けるには限界がありそうだ。到底実現するはずもない話しではあるが、どこか山を削り落として中間の土地を埋めながら低地の住民を削り落とした山の跡に移住して貰うのと、これでもかと防波堤を積み上げるのと、どちらが本当に有効だろうかなどと考えてしまう。むろん、山を削ってしまうなど自然の冒涜であって、やってよかろう筈もないのだが、例えば宝塚から海へ向かって武庫川沿いを車で下ると、川の水面と住宅地の高低差から、そうした対案が頭をよぎるほど現実が深刻に感じられるのだ。