そんなことがあったので、今まではフリー壁紙のページにはUNICEFへのリンクボタンしか置いていなかったのだけれど、Googleの広告を入れるようにした。フラットな社会では情報はシェアするほど有効になるというが、あらゆるサイトで、サービスを提供する側の継続性をどうやって担保するかという問題の解は、まだ出ていないように思う。霞を食って生きていけるわけじゃなし、かといってなくなっては困るサービスや情報は増える一方。経済社会に参加して生活を営んで行く限り、どこかで何らかの対価を得ることができ、それで生きてゆけるようにならないと、継続性は担保されない。
大会社は平然とサービスを打ち切ったりするが、サービスの提供を受けていたユーザーの中には困る人だってあるだろうに、勝手なものだ。大会社であろうと、いや、最近の年金問題を見れば例え国であろうと、永遠の継続性を担保することなどできないのだ。「そんな先のこたぁ知ったことか」とでも思っているのだろうが、ドメイン名の登録には100年単位の先払いがある。100年先までドメイン名を確保できるのなら、100年の継続を担保するサイトを構築する手だてがあったって良いと思う。100年継続できるなら、Web墓だってできる。わけのわからん会社や国ではなく、間違いなく100年先まで存続しているであろう組織が、時代に即した形でコンテンツを維持してくれれば良いわけだ。地震で壊れることなどを考えれば、仮想空間の墓は石の墓よりも遙かに頑丈である。
さて、こんなサービスを提供できる組織とは何か。バチカン(カソリック)とか浄土真宗というように既に千年を越える歴史のある組織ならば、どうだろうか。人々が信仰を継承するなら、継続性・永続性は担保される。或いは、継続性がなくなった時には、信仰も失われているから、墓や先祖の持つ意味そのものが消失している。とすれば、ヴァーチャル墓については、既存宗教が担保するサービスとなれば、その存在意義からして、成立すると思う。
では、他のサービスはどうか。例えば写真データを保管するサービス。蔵の中から出てくる古い写真のように百年くらいの歳月を越えて保存したいデータは必ずあるし、保存ができれば、百年後にはまた違った価値を生み出している。火事で思い出をなくすことがないといった近未来の障壁はともかく、継続性が担保される100年単位のサービスならデータ保管は非常に有益でシェアのあるサービスとなるだろうと思うが、難しいのが継続性。妥当だと思われる管理団体組織の形態が思い浮かばないのだ。データ百年保存協会だか委員会だかって任意組織でも作れば出来るのかも知れないが、これが信頼を得るのもまた大変そうだし、第一、費用はどうする。写真関係の企業などがスポンサーになってくれたとしても、無限と言って良いほどに増え続けるであろう膨大なデータ量を十分に預かれるハードディスクとそのバックアップ、そしてサーバー管理にトラフィック ─ 費用だけでも相当なものになるだろうことは、想像に難くない。
私自身、このサイトを構築してから早くも11年が経っていて、11年前から継続しているコンテンツでは既に保存資料の意味が強くなってきている。更新するだけが能ではなく、掲示を継続することにも十分以上に価値があると思っているから、リニューアルをかけても重複させず、旧ファイルはそのまま残すようにしているとはいえ、そのサイトの継続性のつっかい棒がGoogleだけでは、少々心許ない。pict.comなどというドメイン名だから、それに相応しく画像データ保存サービスでも提供できたら最高なのだろうけど…と思いつつ、「継続性を担保する」という課題について、ブツブツと考え続ける日々なのである。
Posted by nankyokuguma at 18:35:00. Filed under: General
