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Wednesday, June 10, 2015

スコッチは、スコットランドで醸されたウィスキーのこと。シャンパンはシャンパーニュで醸されたスパークリングワインのこと。しかし、だからといって日本で醸された日本酒だから日本酒、だろうか。それは違うんじゃないか。

昨6月9日付、朝日新聞朝刊などが…

「国税庁長官は年内にも、「日本酒」について、地名を商品名に使う知的財産権である「地理的表示」に指定。日本酒や英語の「ジャパニーズ・サケ」を名乗れる清酒を、国産米や国内の水を使って国内でつくられた清酒に限る方針」と報じていた。この報にふれ、私の頭に先ず浮かんだのは、諸外国で佳酒を醸そうと努力されている方々のことだ。

日本酒は、紹興酒やワインと並ぶ世界三大醸造酒の一つであり、それは醸造酒の一種類の固有形容詞である。当然、地理的要素は薄い。日本酒を日本で醸された国内原材料によるだけのものと言うのなら、フランスやドイツ以外 ─ チリや日本で醸されるワインはワインではないのか、という次元の疑問に通じる。日本で醸されたから日本の酒で日本酒なら、焼酎も泡盛も日本酒の一種類となるが、そうではない。

努力が台無し

なぜ、この件が問題かというと、一つには、海外で醸される日本酒がとても多いからだ。

海外で醸される日本酒は、単に流行り出したから名前を借りてやっちゃえというような、浅いものではない。その歴史は百年を超え、ハワイ日系移民のそれなどは1908(明治41)年にまで遡る。

月桂冠など、北米大陸で醸される酒だけでもかなりある。1980年前後のアメリカでは、日本酒は日本食品商社の販売網によっていた。自社銘柄を売ろうと、駐在員は商社にかかる商談の電話をとりあっていた。当時は松竹梅が強く、英語で日本酒の代名詞だった程だが、それは偏にこうした営業担当者の尽力による。しかし、日本からの輸出は価格が高すぎたために、悲しいかな絶対的には伸びなかった。ワインなど他のアルコール飲料に比べると、日本酒はどうしても高価だったのだ。輸送費や品質劣化といった欠点を克服し、さらに店頭での価格競争力をつけるには、現地で醸すしかない。かくて、大関が1979年、松竹梅が1983年。月桂冠は1989年から、アメリカに蔵をたて、醸造を開始した。

日本のInternational SAKE Challengeは今年で9回目。ハワイでの全米日本酒歓評会―ジョイ・オブ・サケというイベントは、2001年から15年間続いているが、それもまた、現地醸造家の夢と情熱の結果である。さらに、日本での経営不振から海を渡った醸造家や、福島県双葉町で被災した後に事業復興をかけて海を渡った酒蔵もある。現地に移り、溶け込み、基礎からやり直すその努力たるや、並大抵でないのは想像に難くないだろう。

原材料確保は可能か

材料の米などを国産に限定するのも、どうなのだろうか。例えば、麺類で「日本で栽培された麦を使わないとうどんとは呼ばせない」とか、「日本で栽培された蕎麦から打たなければ蕎麦じゃない」と言うだろうか。永久に日本で、酒造用の米、酒米を生産・供給し続けられられるだろうか。むろん、そうあって欲しいのは山々だが、海外原料で他の酒のシェアに対抗する必要は、酒造業界でも感じられている。それは、かつてのアメリカ市場同様、日本酒の市場全体が価格競争力を失い、酒類販売でのシェアを損なう恐れがあるからだ。

さらには、単に国内産米利用というだけのことを、全ての日本酒の付加価値にして良いのか、ということ。兵庫県産の山田錦は一つの例だが、実際、現在は不足していると聞き及ぶ。なぜか ─ 一つには、これまでそうした酒造好適米にも生産数量目標が課せられていたからだ。主食用米の価格維持策として決められる生産数量目標の枠に、酒造好適米も縛られていた。ようやく、平成26年からは生産数量目標の枠外になったものの、値段 ─ 酒にとっての原材料費が高止まりするのだから、それから醸される日本主の価格競争力が損なわれる構図は、変わらない。

写真
▲ 加州の寿司店で頂いた大関の佳酒(輸入品)
楽しめたのは、蔵本の努力あってこそ

日本酒の全てが吟醸酒や純米酒ではないように、全ての日本酒が、山田錦だ赤磐雄町だのといった酒造好適米から醸される必要はない。むしろ、そうした日本酒はピラミッドの頂点であり、それを支える安くてそこそこ美味しい酒があってこそのジャンルに属する。だから、例えばアメリカで生産された酒造にも適した米を輸入し、それで安い普及品を醸すというのも、将来のありようとしての可能性は否定できない。むしろそこから、日本国内で醸され輸出されても市場を獲得し得る、価格競争力のある日本酒が生まれてくるのではないか。日本が誇る酒米と精米、醸造技術の粋を極める佳酒が確固として頂点を占める大きな世界的日本酒ピラミッドこそ、本当に目指すべきところではないだろうか。そしてその時、それらの日本酒の全てが純粋に日本産であるかどうかは、本当に重要な要素ではないのだ。

課税されもしないのに

地理的表示をといっているのは国税庁長官だそうだが、輸出される日本酒には、酒税は課税されない。もし、税的に御利益があるとすれば、生産全量のパイを広げ、酒蔵の経営を安定させるとともに、技術や設備での投資余力を与えることで、国内での課税対象酒の品質を安定させたり、向上させたりする。或いは、国内の日本酒消費を促進して消費税収を伸ばす、といったところだろうか。だが、そのために輸出された先での価格競争力を殺ぎ、現地蔵まで出して努力している蔵本の尽力を無視して日本酒全体のパイを縮ませてしまうなら、本末転倒ではないだろうか。

日本食ブームもあって、今日では日本酒が世界各国で受け入れられているが、前述のように、多くの方々が輸出販売と現地醸造で大変な苦労を重ねてこられた結果、ようやく日本酒が日本食の食卓に迎え入れられ、花開きだしている。それを、今回の地理的表示指定は台無しにしかねず、海外での日本酒の普及に努めておいでの方々 ─ 味方を背後から撃つような行為だとも感じられてしまうのである。

この文の執筆にあたっては、フェイスブックの友人各位の御見識を参考にいたしました。この場を借りて感謝申し上げます。