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Tuesday, November 22, 2005

言うちゃあ何だが、私ゃ犬好き。もっとも、今は犬とは暮らしていない。子供たちが育つのとともにいたシェパードの想い出が強すぎることと、その後、一緒に暮らす縁がないこと。それに、犬が求める運動量を与え得る環境に暮らしていないことなど、考えれば考えるほど犬を幸せにできないからでもある。焼けたアスファルトの上を散歩できるような犬用のリーボックやエアジョーダンなんて、ない。

その犬が最近やたらとブーム。現代版御犬様である。犬は、人間と共に暮らせなければ絶滅しざるを得ない(野犬化して生き延びるかも知れないが、それは私たちの知る犬とは違うだろう)のだから、それなりに良いことだけれど、どうにも首を傾げることがある。それは、犬の食事である。

考えてみると良い。犬がエプロンをして煮炊きするわけがない ─ つまり、生の食餌が基本。しかも、欲しいものを食して生きる─逆に言えば、欲しくないもの、摂るべきでないものは摂らない。そういう本能がなければ、ここまで犬という動物は生き延びていない。友人の話で、その昔、インドで弁当を食べようとしたところへ犬がきた。犬はプンと一嗅ぎして、どっかへ行ってしまった。それを食った彼はドエラい下痢に見舞われたそうな。犬も食わんものは、食っちゃあいけない。彼らの臭覚は飾りではない。

日本のブリーダーや獣医は妙に神経質で、ドッグフードメーカーからいくらか貰っているとしか思えない記述にも良く出会い、目につくので、辟易する。ドッグフードでなきゃ犬が生きられないなら、犬はこの時代まで代々、生き延びているわけがない。

私がシェパードと暮らしていたのは福岡に住んでいた頃のことだが、かかりつけの獣医はなかなか面白い方だった。その獣医さんの名言の一つが、前述の「犬がエプロンつけて煮炊きするか」だった。そして、さらには蓄積した体験から「味噌汁かけの犬マンマを食べている犬ではフィラリアが巨大化せず、深刻な症状を発しない」という。血中の塩分濃度が適度にあれば、フィラリアは成長しきれないのではないか、ということだ。これは面白い着目点で、フィラリアの予防(実際にはフィラリアを殺す)は犬自体へのダメージも大きいから、より深く研究されると良いなぁ、と思うことしきりだった。

その後、アイディタロッドの取材などで米国の獣医とも良く話したが、米国の獣医資格取得は人間の医師になるよりも厳格で難しいそうだ。なぜなら、動物は症状を訴えることができないから。品評会先進国であることも、ドッグフード先進国であることも加味した上で、しかし、例えばアイディタロッドを駆ける犬でも、ドッグフード“だけで”走っているわけではない。

さて、脱線はおいておいて、もしドッグフードでしか生きられないとしたら、人間は自分の勝手で犬をそれほど弱い生き物に貶めてしまったのだ。一方で、神が創りたもう動物の体は、人間の愚かな知恵を遥かに上回る精巧さで成立しているのだから、ドッグフードによらずとも、いや、むしろドッグフード同様にバランスに配慮するなら、自然な食べ物のほうが遥かに良い筈ではないか。

試しに、巨大な牛のスネ骨でも生でやってみると良い(豚・鶏は×)。飽きるともなくひたすらガリガリと齧り続け、最後にはどこかに埋めるなどして、隠してくる。で、腹が減ると、またそれを思い出して掘り出し、齧っている。もし忘れていると思うなら、それは思い出すより先に次の食餌を与えているからだ。そして、犬がどれほどのカルシウムを必要とするか、再認識することだ。骨の入手が難しいなら、ドッグフードによらず、薬局で販売しているワダカルシウム錠が、安上がりでちょうど良い。但し、骨をガリガリやっていれば、一緒に歯垢も落ちている。

もしそれでも推薦されているドッグフードだけを与えてチャンピオンの毛並みを目指したいのなら、それはそれで結構。私の犬じゃないからね。でも、人生ならぬ犬生として、人間が勝手に決めた基準で量ってチャンピオンたることが、果たして幸せなんだろうかと、私ゃ思うがねぇ。

昔の庭先の雑種は味噌汁をかけたご飯が定番だった。それでも、それを食わせたからあっという間に死んだなんて話を聞いたことがあるだろうか。要は、神経質にならないこと。犬と楽しく暮らすこと。そして、人間も犬も、夫々の生命体としての必要に対してバランスのとれた食餌が一番ということだ。それを自然な材料で与えるのが難しいなら、ドッグフードの助けを借りれば良い。ドッグフードでなくちゃいけないというのは、本末転倒である。自然はドッグフードを作り得ないのだから。