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Monday, October 19, 2009

日経BPnetの時評コラムで猪瀬直樹氏が「高速無料化、虚偽の説明は訂正すべきだ」と題し、引き続き高速道路無料化に苦言を呈しておられた。まぁ確かにシャドゥタックス化するのであればストレートに無償化とは言えないとも言える。だが、どうも氏の視野には道路しかなくて、上を走る車まで見えていない気がする。そこで、またあれこれ考えてみた。

数字は割愛するが、高速道路収入の2.5兆円を全て揮発油税暫定税分で置き換えてみたり、揮発油税でもし必要なCO2削減分を排出権として買った場合を試すなどすると、なんと、いずれの額もどんぶり勘定で見ると近い額だった。とすると、おおよそ現状の税収全体や借金返済の規模・構造を変えないまま、高速道路を表向き無料にしたり、或いは減額したとしても、要素となる数字が激変しない限りは物事が成立して行くように思える。

しかし、数字の規模は妙にえいやぁのどんぶり勘定で置き換えて符合する税収と用途ながら、今からの時代を考えていて、このままでは駄目だというに留まらず、小手先の変更でも駄目だと思い至った。

ピークオイルと税収

省エネルギーやCO2削減といった課題から、自動車の化石燃料消費量は減って行くのが当然だと思われるのに対し、“税収を化石燃料への課税だけに頼ったままでは自ずと税収減を招く”。つまり、課税システムには、他のエネルギー源への移行に伴って税収を大きく左右させないように、油への課税分が円滑に他のエネルギー、或いはエネルギーを消費するモノや行為へ移行して行くよう、十分な予測をもって設計され、変更するべき時が来ているのである。

藤井財務大臣は9月19日付日経のインタビュー記事で、「暫定税率廃止と同時に環境税を議論する考えは」という記者の質問に、「ガソリンに負荷されるべきものは本則程度でいいのではないかという判断に基づいて本則税制を環境税にもっていく位置づけにした」と答えられているが、将来を見据えて妥当な路線に乗せようとしておられることが、前述のような大ざっぱな展望からも分かる。逆に言うなら、もし暫定税率なんぞに財源を頼ると、近い将来、燃料消費減のために税収を確保できなくなる。

実は、ピークオイルと呼ばれる世界の石油生産量が減少に転じる時点が2020年という論が出てきて、注目されている。国際エネルギー機関(International Energy Agency = IEA) のチーフ・エコノミストを務めるフェイス・ビロル(Fatih Birol)氏が、英インデペンデント紙(The Independent)8月3日掲載のインタビュー記事で明らかにした予想で、世界各国の予想よりも10年早いという。一方で、世界資源の30%がなければ10%の成長を続けられない中国経済(9月12日付日経1面)といった、資源を浴びるほど必要とする国々の経済成長に、リーマンショック後の産業が希望をつないでいることを考えあわせると、いかに脱石油への努力が必然であるかは、火を見るよりも明らかだ。

確かに、ブラジルの深海油田のような新しい有望な油田もある。そうした要素を視野に入れて、よしんばピークオイルが2030年、つまりあと20年と見積もったとしても、しかし今の調子でやっていって本当に間に合うのだろうか。環境問題がなければ楽天的に油を燃やして行けば良いのだが、新しい油田から石油を採掘して使うのは、今まで地中深く眠っていたCO2を大気へぶちまけるのに等しい。

そんな風だから、車検のたんびに自動車を買い換えていた時代ならいざ知らず、10年以上乗る人たちが増えている昨今、2020年には市販車の全てが化石燃料以外を動力源とする車となっているくらいの意気込みでやって、ようやく間尺に合うように、私には思える。それが、ピークが10年前倒しとなると、民主党の言う25%削減を真水で実現するべく今の市販車を全部電気自動車などにする勢いでちょうど良いくらいではないのだろうか。そうして、このような観点からも、9月18日付け日経11面にあった石油連盟会長の提案されている「走行距離に応じた課税への移行」といったことが急務・必須だと分かる。

このピークオイル2020年にはもちろん異論がある。あるだろうが、最悪をも視野に入れて将来設計する方が良いに決まっている。必要な変化に伴って、税源もまた上手に置き換えられて行かねばならない。寝耳に水のライフスタイル転換を強いられてしまうような、化石燃料の車=資産そのものがある日突然化石になるやも知れぬと分かれば、車選びそのものもまた、変わってくるというものだ。

道路と自動車は一対

中長期的にはインフォモビリティの実現など、近未来交通へ発展していって欲しいところだし、車もそうした新しい機能を盛り込んで行くはずだ。が、そこには、道路側の新設備とセットでしか実現できないことが少なからず、ある。基本的な方向性は人間のうっかりをコンピュータ制御などで防ぎ、安全な移動手段として完成度を高めるほうへ向かっているのだが、そこで目論まれている優れたアイデアは、自動車単体で完成させ得るものばかりではない。だから、道路整備が終わったと決めつけるのは早計。但し、それは要らない道路を造ることを意味しない。

例えば、高速道路が表向き無料で、その間に何もないのなら、必ずしも並走する立派な国道やらバイパスやらがつながるように整備する必要はない。アメリカを走れば良く分かることだが、道路整備用の未舗装側道こそあれ、町と町、村と村を隔てる砂漠の中に高速道路が一本走っているところで、脇に並行して舗装された国道などありはしない。インターチェンジが細かく設定されているから、その必要がないのだ。その細かさは、都市圏だと交差する主要道路毎。特急料金だなどと分け隔てしなければ料金所は不要。途切れた高速道路をちゃんとつなぐ代わりに、並走する国道は放棄するくらいの思い切ったことをやってゆかねば、前述の新しい時代の交通システムに適した設備を伴う道路など、いつまでも出来やしないだろう。

加えて、環境問題ではタイヤ粉塵やタイヤ騒音といった課題もある。まさに、道路と自動車は一対であって、道路だけ、自動車だけを取り上げて考えても、これからの社会資本のあって欲しい姿にはならないのである。

交通需要は交通の質次第

交通需要は民主党が言うように減るのだろうか。それとも、猪瀬氏が仰るように横ばいなのだろうか。自動車運転免許人口は減っている。自動車の売り上げも減。その上、人口も減る。どう見ても、交通量が横ばいで続きそうな要素は見あたらないから、明確な数字が出るわけではないが、私には、このまま何も変わらないのなら「減る」としか読めない。減ってゆくものに資金を依存するのは、危ない。だから、長期的な展望に立てば尚更、通行料金を資金源にするのではなく、広く移動の自由のため、或いは物資輸送のコストとしての税として捉えなおし、新たな構想で、脱石油という要素も加えて設計し直すのが良いように思えるのだが、どうだろうか。

その上で、この国の自動車産業が世界から富を招く産業であり続けるべく、道路や駐車場とセットのクリーンな未来型交通システムとして、先ずこの国で成立させ、売り込む見本として築き上げて行く ── 例えば、地方には採算割れの公共交通機関と高齢化という双子の課題がある。高齢者でも運転できる車をという声には、道路とセットのクリーンな未来型交通システムが解とならないだろうか。極端な夢を語るなら、足の悪いお年寄りが病院に行くのに、玄関先の自動車へ車いすのまま乗り込み、ボタンを押せば自動運転で病院まで走って行く、というようなこと。それがSFの荒唐無稽な話でないところまで、研究室レベルでは到達しているはずだ。

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交通需要は、供給される交通システムが時代の求めに応じ得るかどうかによって、いかようにでも変わってゆく筈のものなのだ。折角、過去半世紀かかって築き上げてきた、壊れにくいという信頼性に裏打ちされた「日本車」という暖簾を無駄にしてはなるまい。折もおり、アメリカでレクサスのリコールが大きな問題になっているが、今からが、まさに正念場である。