東京都は何が何でもディーゼルを葬りたいように見えるが、実は、環境問題を救うエンジン技術の最右翼は常にディーゼルで、これは、今日でも違わないのだ。
どうしてディーゼル?
ディーゼルエンジンは、既出技術の原動機として最大の熱効率が得られるもの。だから、次世代のクリーンエンジンも、ディーゼルの技術を基礎として生まれてくると専門家は見てきた。例えば、1987年から次世代エンジン研究を国家プロジェクトとして進めてきた株式会社 新燃焼システム研究所は、国とディーゼル関連企業各社によって設立され、現在は株式会社新エィシーイーとして研究成果を受け継いで事業を続けている。その基本がディーゼルとなったのも偏に、こうした認識による。もちろん、各社による研究も、特に欧州市場でのディーゼル市場の大きさを念頭に進んでいる。
もともと石油を精製すると、沸点で分けて各種の燃料などが抽出される。あれこれ絞った滓はアスファルトとして舗装道路になる。ガソリンだけ、軽油だけを取り出せるわけではないから、全ての成分を有効利用しなくては「もったいない」。ゆえに、動力の燃料も適切に分散されているのが都合が良いと分かる。ガソリン車だけ、ディーゼル車だけでは困るわけだ。
ところで、なぜディーゼルはトラックに向いているのだろう。先ず、燃料効率が良くトルクフルであること。原理的に、巡行時消費量でガソリンの6割で済むといわれる。さらに、高圧縮比で燃焼させるガタイを持つため、丈夫で長持ちする。だから、例え軽油とガソリンの値段が同じか、軽油が若干高くても、運搬コストを視野に入れて車を考えればディーゼルに軍配が上がる。軍用車や四輪駆動車には更に、使用燃料の統一、つまり補給の簡略化や、着火のための電気系統がなく水に強いことなども絡んでくる。
こうした利点を持って使われ将来も属望されているディーゼルを、NOxとPMの比較劣勢だけであっさり葬った東京都の大気汚染事情は、相当悪かったのだろう。だが、それは、ディーゼルを葬るより前に都心に電気自動車など今日歓迎されている技術を先駆けて取り入れたり、石油を売る側も脱硫などの努力に欠けた、その結果のように、私には見える。
もし東京都や国、関連各社に大気汚染や環境を見越した先見性があれば、全ての技術をバランス良く適材適所で実用化し、あるいは実用実験に供しながら進んでくることも可能だったはずだが、経済を優先してきた。結果、突然の規制で割を食ったのがディーゼル車を利用していたユーザーだ。まるで軍事供出のように、多くの車=個人資産がパァになった。
長距離無停止走行に向くディーゼル
ディーゼルエンジンから排出される汚染物質は、特に発進・加減速時に増える。つまり、都会の入り組んだ信号だらけの道路を通るのには適していない。長距離トラックのような大きなエンジンの車をガソリンにすると、原理上大きなシリンダー内で吸い込んだ混合機を同時に燃焼させることは難かしいから、逆に汚染物質が増える。ゆえに、高速道路をひた走る長距離トラックにはディーゼルが適しているし、現実問題としてそんなガソリンエンジンを搭載したトラックは、ない。ディーゼルトラックが要所要所のデポで積み卸しした後の街中の小分け配送は、走行距離が短いのだからディーゼル以外の動力で担えるだろう。これは、全体的にすでにそうなりつつあるので、これ以上はいわずもがな。
東京都は、アメリカが現在ディーゼル・ガソリンの別なく排気ガスを規制しているのに対して、日本の環境庁や国交省によるより甘い排気ガス規制値の値をもって、減ってもまだ多いと断じ、平成19年規制ををクリアするディーゼル車が普及するのにかかる期間待っていられないとして、未だにディーゼルに否定的な姿勢を貫いている。だが、本2009年10月から強制適用が始まる新規制値では、例えばディーゼル乗用車例のCOとNMHC規制値はガソリン車より厳しく、PMは直噴ガソリン車と同じ。NOxだけが僅かに上回り(ディーゼル 0.08g/km v.s. ガソリン 0.05g/km)、COやNMHCの値でガソリン・LPG車を遙かに凌ぐ桁違いの規制値をクリアするほどの、環境に優しいエンジンとなる。

▲あの大陸を無事走破できた影には優れたエンジンオイルもあった
経験談を一つ加えると、ディーゼルエンジンはエンジンオイルでの性能差が出やすい。オーストラリア大陸17,000km走破の時、いすゞビッグホーン・イルムシャーに、現地メカニックの勧めで当時シェルから出ていたマイリナというマリンエンジン用オイルを入れたが、これが恐ろしく良いオイルで、広大な砂漠を高速連続走行に耐え抜いてくれた。入れて走った途端、それまでとは何もかもが良くなっていると体感できるほど違ったから驚いたが、これは環境性能も然り。
PMもまた、エンジンオイルにも左右される。洗浄性能や、僅かとはいえオイルアップして燃焼室内で燃える分の煤が問題なのだ。入れてすぐに真っ黒になるようなエンジンオイルなら、それだけエンジン内部を綺麗にしている証拠だから、大丈夫。DPF装着車の場合は更に、触媒を傷めるので、DH-2やDL-1など、定められたオイル規格を守らないといけない。
案外汚いガソリンエンジン
一方、ガソリンエンジンからまるっきりPMが出ないかといえば、そんなことはない。世界で最も厳しい内容となるポスト新長期規制で希薄燃焼を行う直噴エンジンが規制対象となったのは、PMの発生が多いからだという。
もう一つ、日本には見ないようにしてきた汚染源がある。それは、軽自動車。規制値で見ると、軽自動車のCO排出量は信じられないほど多いのだ。おまけに、重たくターボがついてATの軽ともなれば、高速走行を含めると燃費も悪い。国内市場の縮小やグローバル展開を見越したのだろう、スズキは軽自動車部門の生産を抑制。登録小型車開発・生産に重点を移しているし、スバルも生産から撤退。ガラパゴス軽自動車のほうは、全体では消滅しそうな流れの中にある。
しかし、東京都の規制には軽自動車を対象とするようなそぶりはない。その癖、NOx以外の数値ではガソリンを遙かに凌ぐディーゼルを、ここまで数値が改善してきてもなお袖にしている。この頑固な東京都という場所は、世界的にもかなり特殊な場所だろうが、さて、この先NOx以外ではディーゼルより汚いことになるガソリンエンジンをどうするのだろうか。それでもNOx重視でガソリンはOKなのか。これまで規制を免れてきたガソリンより綺麗なディーゼルが走るというのに…。
ディーゼルにこそ未来がある
日本の規制値は日本国内で販売される自動車に適応される値だが、メーカーは常に、マーケット規模があれば、規制の厳しい所で販売する車に適応した技術を開発してきた。ニーズを叩きつぶすように規制を課しても、引いてみたときにニーズが根強ければタイトなエリアの規制もなんのその、人間の英知はより優れた製品を生み出すわけだ。
軽自動車は、好燃費という観点から十分クリーンで、かつパワーのある小さな車として海外にも似たようなニーズはあるが、輸出車輌は800ccや1000ccなど大きなエンジンを積んでいる。オーストラリアの砂漠の中のとある村で、牧童が巨体を小さなスズキのマー坊に器用に折りたたんで乗車するのを見たときには驚いたが、あれもエンジンは違う。サスペンションまではそう違わないのだろう、随分傾いて走っていったけどね。
660ccエンジンの規制値があれほど緩いと知ったら、希にある海外の軽自動車渇望論は、泡と消えるだろう。いずれにしても海外のニーズは日本の国民車から発展してきたそれとは微妙に相容れないから、こちらはとりあえず、絶滅危惧種。EVのボディとして三菱iはそのシルエットだけ残りそうだが、車体サイズの基準値が変われば、話は全て変わってくる。一方、地球規模で見ると、CO2削減や燃料消費率の見地からディーゼルのニーズは高く、メーカーも輸出市場に頼っている以上、ディーゼルから足を洗うわけには行かなかった。
今日、欧米の需要のおかげで辛うじて残った日本のクリーンディーゼルの技術は、自動車産業を救って行くだろうと思う。例えば、近い将来実用化されるかも知れないディーゼルエンジンの一つの極めつけの例は、1986年に日野がトラックに搭載して公開した「水素ディーゼル」。他にも、良くご存じのバイオディーゼルなどがある。実は、バイオディーゼルは新しい技術どころか、ディーゼルのアイデアそのものがそこから始まっているくらい(元々は落花生油を燃料とし、圧縮熱で燃料に点火するエンジンとして19世紀末に発明されたもの)だ。ディーゼルエンジンは環境問題や資源問題をクリアした上でなお、随所で役立って行く非常に大きな可能性をまだまだ秘めた、汎用性の高い動力源なのである。
Posted by nankyokuguma at 19:42:11. Filed under: Vehicle
