新しいようで古い課題が「自動車の音」。広く車で言うと騒音公害は古くローマ時代にもあったらしいほどだから、人は静かな車を求め続けてきたと言える。一方で、喧しい音こそが迫力や快感といった向きもあるけれど、要は自分の意志に反してその音が存在する場合に雑音となるのだろう。最近では電気自動車やハイブリッド車で「静かすぎる」のが深刻な問題になっている。
しかし、この静粛さには、ちょっとしたトリックが潜んでいる。
エンジン音は大きくない
実は、自動車からエンジン音をなくしても、全体の車輌騒音は82dBから81dBに下がるだけ、という計算があるのだ(エンジンのロマン 鈴木孝著 プレジデント社刊 ISBN4-8334-1316-7 付録A38-2 P416 トラックの騒音)。つまり、エンジンがモーターに変わったからといって、車が静かになったわけではない筈なのだ。
ちなみに、ダイハツはかなり以前より電気自動車を先駆者よろしく市販しており、この静粛性による危険も理解していて、メカニカルノイズを残していた。だが、今日のハイブリッド化された車には、どうやらそんな気遣いはなかったようだ。
そんな折もおり、環境庁が車の騒音についてタイヤも規制しようと、検討を始めたそうだ。この記事によれば「ふつうの舗装道路を一定の速度で走らせた場合、騒音の約9割はタイヤ由来だ。加速時も騒音の3〜8割がタイヤから」。はて、ならばどうして電気自動車やハイブリッド車は「静かで危ない」のだろう。何が今、電気自動車が静かで危険だと言われる原因なのか。実は、タイヤの音と言っても単純ではなく、あの溝の中の空気で発生するパタンノイズや、タイヤの振動など、滑り音といった種類がある。そして、その音の大きさは路面の種類も大きく影響している。
前にも書いたと思うが、タイヤにまつわる環境問題は道路とセットで考えないと、タイヤだけでの解決は難しい。
クラクションの暴力
ところで、世の中にはクラクションを鳴らして警告すれば安全と思う人が案外おられるようだ。中には、そこのけここのけとばかりに大音響を轟かせながら狭い道を吹っ飛ばして行く輩までいる。いきなり後ろからクラクションを鳴らされた時、自転車や歩行者は「ドキッとする」。歩行者はそれでも立ちすくむくらいかも知れないが、自転車はバランスを崩して倒れかねない。
基本的に、クラクションは音の暴力で、どこで鳴らされようと気持ちの良いものではない。今は窓を閉め切っている車が大半だから、聞こえにくく、昔は時折見かけた山岳地の「警笛ならせ」の標識も滅多に見なくなった。どうせ鳴らしたって分からんから、さもありなん。そうすると、クラクションが役立つのは昼間、前の車の運転手が信号待ちで居眠りしているとおぼしき時くらいではないだろうか。
音がしない車は快適だが、ハイブリッドの静粛性は危ない。音を鳴らしたら鳴らしたで、鳴らしようによってはとても危ないし、騒音公害にも通じる。だが、突き詰めて考えると、ドライバーが歩行者最優先の思いやりを持っていればやはり、静かなのに越したことはないように思うけれど、それで解決するようなら、ローマ時代からの未解決の難題であるはずがない。
「自動車の音」でなくては
音を出すだけだったら、フライホイールかプーリーに遠心力で離れていない時にだけ干渉するオルゴールのピンのようなものを設けるといったことも考えられる。しかし、それも円滑に遠心力で干渉物が離れないと、ずっと音が鳴りっぱなしということになる。ちなみに、同じ回るものでもホイールに何かを装着するのでは、モノがそこに備わり続けるには環境が過酷過ぎる上に、ホイールバランスに影響するから、良くはなかろう。(広告を描いたホイールキャップがあったが、あれは逆にそこだけ回らない仕組みだから、ホイールバランスに影響しない)
それに、何よりもその静粛性が危ない極めつけの原因は、その音が我々の認識している自動車の音と違うことではないか。だから、何やら音がするけれども自動車だと気づかない。そうでなくては、前述の「エンジン音がなくてもたいして静かにならない」という理屈と合わない。
もし何か代替の音を出すなら、どの音であれ、自動車であると認識されない音をそれ用にしたところで、自動車だと気づいて貰うための周知徹底が必要となり、周知が徹底されるまでの期間は危険性が潜在してしまう。様々な音が混在しても、然り。万人が自動車だと気づかない音では、意味を成し得ない。一方、前述のダイハツの電気自動車に見られたメカニカルノイズは、乗っている人間にも少々耳障りだったように記憶しているから、この音の問題は普通に考える以上に難問。単純に何か音が出てれば良いわけでは、ない。
一番良いのは恐らく、アイドリングのような低速走行時に、まさに旧知の自動車の音を控えめに流すこと。防水防塵のアンプやスピーカーは自動車メーカーにとっては案外コスト高かも知れないが、コンピュータで速度を検出する部分は既に備わっている筈だから、実現し易いように思えるし、実際、イギリスのロータスが1年も前に作り上げて発表している。それに、自動車は輸出されるから、日本国内だけで解決しても始まらない。
歩行者がいるようなところでは何かしら音が出る路面にするなんて手もあるのだろうが、これまた随分とやかましそうだし、歩きづらくなるようでは困る。
さて、果たして人類は、暴力的に感じるようなことがなく、邪魔にもならず、歩きやすくもあり、しかも周知が徹底している音で、ローマ時代からの命題の騒音と静粛性による危険という、矛盾するようにも思える命題を解決できるだろうか ─ これからの動向が興味深い。
ローマ詩人ユウエナーリス 風刺詩集 紀元117年
市内のどんな場所でも、安眠をむさぼることは完全に不可能である。曲がりくねった狭い通りを行き交う絶え間なしの馬車の騒音は…死者をも目覚めさせる…
(アーサー・ヘイリー著 自動車
’73年2月15日 第二版 新潮社刊)
Posted by nankyokuguma at 16:20:00. Filed under: Vehicle
