自民党の割引と民主党の無料化、どちらの案も「どぉかなぁ」と思っている。基本的には無料化路線で賛成なのだが、問題は内容だ。日経BP NETの時評コラムで猪瀬直樹氏がまた吠えているので、以前山崎養世氏の論を是として記した課題だが、再度、山崎論をご破算にして書いてみよう。
世界の趨勢
海外の高速道路は無料、または微々たる有料だ。無料だったのが有料になっても、その額は遠く日本に及ばない。僅かな額でも面倒だったり払うのがイヤだと利用しなかったり、有償の敷居は案外高いのだ。猪瀬氏がその有償化の好例として引き合いに出したアウトバーンも、トラック限定で料金は1km当り13,5セントから16,3セント(09年1月に値上げされたそうだが…)。日本では、普通車が24.6円/km+150円+消費税。特大車はその2.75倍。大型車1.65倍、中型車1.2倍、軽自動車等0.8倍となり、トラックで見れば67.65円v.s.約18円。構造的にCOがほとんど出ない(だからCO2も準じて少ない)ディーゼルエンジンのトラックが高速道路を連続巡行し大気汚染に貢献して、この差だ。
それに、もともとがタダだったものを有償化しているのと、もともと非常に高額だったものを安くしようとしているのとでは、ベクトルが正反対。それらをひっくるめて極端と極端がぶつかるから、話がつかない。世界の趨勢は「無料(税で間接負担) → 有料」だ。ならば、日本が取るべき方向は、「無料も含めた額の国際的な適正化」ではないのだろうか。
流通コスト
高速道路無料化で高速が渋滞したらと仮定するのも、変だ。高速道路を利用する車は増えるかも知れないが、一般道路を利用する車はその分、減る。要は分散すべき車がしかるべく分散されるわけだ。第一、何がなんでも高速を使おうと思うほど、インターチェンジは便利に出来ていない。無料なら料金所が要らないから、アメリカのようにそこらじゅうで乗り降りが出来ることになり、ガソリンスタンドやレストランなど、巷の経済を潤す効果も期待されるが、インターチェンジが増えるまでは、今のままだ。
週末だけの乗用車限定千円を例にしてあれこれ言ってみたところで、無料化されたときの効果は正しくシミュレートされにくいのではないかとも思う。今は千円ではしゃいでいるかも知れないが、いずれ慣れてしまうと、自分で長距離を運転することの意味が分かってくるから、事故のリスクなど様々な要素が絡んで、若干自動車が増えるにせよ、多くは元通り鉄路や空路などに分散するものと私は想像している。
その一方で、これはアウトバーンのトラック有償化も然りの疑問なのだが、どうして乗用車を有償化(日本で言えば1000円の優遇)せずにトラックを有償化(日本で言えばトラックは従前通り)するのか。どうしても走らねばならない車輌だから得られる通行料金の変動がなく経済的な計画が立てやすいということはあるかも知れない。重たいからそれだけ補修費用を喰っているということもあるだろう。だが、トラックの積荷は決してドライバー個人の所有物ではなく、そこには荷主など多数が絡む。本当に無料化で広く経済的な波及効果があったり環境問題上の益が得られたりするのは、トラックの筈だ。
東京都の大気汚染や混雑はこうした問題とは別に、いっそディーゼルの首都圏乗り入れ有償化といった、地域を限定できる策で対策するべきだ。大気汚染も絡んだ都内の交通問題については、都内の荷受け人が割高にしざるを得ない分を綺麗な空気の対価として担えば良いのであって、全国にその尺度を当てはめるのは筋が違う。田舎で綺麗な空気を吸っている人が、どうして東京都心の汚い空気のツケを払わねばならないのか。既にそうなっている面もあるように、首都圏乗り入れ規制は、首都圏外郭の高速道路インター周辺の流通拠点が整備されることにつながり、より円滑で、かつトータルではクリーンなシステムへと磨かれる結果になるのはないかと期待するのだが、どうだろう。
そもそも、平日深夜の東名・名神や裏街道たる国道を走ったことがないから、乗用車から無料なんて発想が出るのではないか。平日深夜にはいない車を有償のまま残して、週末に繰り出してくる車を週末のみ千円ってのは、ミエミエの選挙票狙い。最悪の案だったと思う。トラックから鉄道や船に変えるモーダルシフトはもう一つの方向性だが、これはモノと荷の出処・届け先やその数量によって適・不適があるから、適した輸送内容のものは変えれば良いし、自ずと変わって行くだろうと思うが、現状、流通コストは長距離トラックの高速道路無償化でこそ下がるはずだ。
課金方法
その一方で、「ガソリンの乗用車」を高速道路料金無料にするなら、それは環境に悪い。しかし、そこの負荷はハイブリッドか水素か、はたまた不動産に近いコレクションのような車(走らない=環境を汚染しない)など、これからは今まで以上に車種によって大きく違って行くのだし、その車のありようもあるのだから、自動車税などで細かく徴集する方が良さそうだ。走行距離を要素に加えるとETCにより使った分だけというのも一案ではあるし、ETCの装着・利用が100%ならそれでも良い。だが、実際にはETCのない車はまだまだ存在する。
こうして乗用車などを広く視野に入れると、高速道路の通行料は無償としながら、自動車税の内容を細かく見直して、そこに高速道路で負担するであろう額を割り当てて行くのが一番現状に馴染みやすく、徴集もし易いのではないか。
道路を使わない人間も道路の税を取られているのが不公平と言う向きがあるが、誰しもが物流などの恩恵にあずかっている以上、道路という社会インフラに某かの負担が生じるのは当然ではないのだろうか。「私は車に乗りません」と「私は全く車のお世話になっていません」は違うことで、後者のような人間はこの日本には存在しないだろう。
安全
渋滞とは別に大型トラックなどでは、高額な高速道路を避けて一般道を通り、それがために疲労がつのり、事故につながっている可能性が否定できない。無料化すれば、輸送業者の経営上の判断で高速道路を使わない選択肢も理由がなくなり、一般道に下りるトラックが減ることから、円滑な運行が疲労の軽減につながる可能性大だ。
普通車による一般道の事故についても、現在はかなりのスパンでしか高速道路を利用できず、インター・目的地間の交通が接続道路に集中する結果を招いている。無料化でより多くのインターチェンジが造られれば、アクセス道路の通行量が分散される。周辺に慣れない遠方からの車輌の市中通行距離は縮まり、道に迷うなどして事故につながるような因子が減る。さらに、一般道経由から高速道路経由にルートを変えたほうが良い移動区間が増えれば、その分、歩行者もいる一般道の通行量は減り、車対人の事故の軽減につながるのではないだろうか。
現状から連想すべきでない
前述したように、週末に乗用車だけというポピュリズムの千円均一の結果を引き合いに無料化時の状況を想像するのには、少々無理がある。週末千円だから週末に集中したし、お盆期間も千円とやったから余計に渋滞した。これが平日だけだったら逆に、分散した休日の取り方が少しは増えたのではないか。平日の乗用車の千円化と大型トラックの無料化を、先ず試した方が良かっただろうと思うわけだが、いかんせん実施されたのは正反対の方法だ。
平日の乗用車の割引と大型トラックの無料化を実施した上で、道路のうち、追加のミニインターチェンジを増設し、さらにその費用の償還も終わって妥当性のできたところから順次無償化する、というのではどうなのだろうか。民主党案の「2010年度予算から数年かけて段階的に行う」は抽象的だが、そのようなステップを踏む意図ならば正しいと、私は考える。
そのステップを踏んで行く段階において、ETCを使ったミニインターチェンジの増設と細かい区分での割引を実施したり、或いは、ETCの装着車輌と非装着車輌の不公平を言うなら、原則無料として、代替となる財源を現在の自動車関連税の割り振りの見直しなどから取り出してみてはどうだろうか。
折しも、一般財源化で根拠を失った暫定税率のこともある。二年前に記した「高速道路の無料化と環境、そして自動車のこれから」の頃には下向き一辺倒だった自動車は、未だに弱いとはいえ、ハイブリッドなどで若干風向きが変わってきてもいる。ちょうど、自動車関係諸税の根拠を再構築して、環境問題を含めた広い視野から考えて、税率を決め直すべき節目に来ているのである。
自動車が活きて使われる社会に
それにしても、あの盆の渋滞。加えて、金を敷いたようなと言われながら地震と大雨でいとも簡単に崩壊した盛土。私は家にいて今回の千円料金下での渋滞とは無縁だったが、これまで普通の料金で「許せん」と感じてきた。つまりあれは、タダだとか安いならと思えばこそ享受できる苦痛や時間ロスであり、高速道路は現状、猪瀬氏が冒頭に紹介したコラムで述べている「特急料金」に見合わないのだ。根本的にそこに、高速は有償であるべきと考える人たちのボタンの掛け違えがある。日本のトラックドライバーに、ドイツのアウトバーンに比べて3.76倍の道路料金に見合ったサービスを享受していると思う方がおられるだろうか。
世界不況の発生で誰しもが、我々がどれほど自動車という産業に直接間接に関わって生きているか痛感したはずだ。その自動車を、肝心の生産国の我々が上手に使えないのでは、洒落にもならない。環境にやさしい動力源と合わせて理想を追い、世界中が目標とするようなモビリティ社会を実現してこそ、この国は未来に向けて継続的に発展できるのではないだろうか。
Posted by nankyokuguma at 16:57:16. Filed under: Vehicle
