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Wednesday, June 03, 2009

スズキの社長、鈴木修氏が昨日のGM破産法11章適用を受けて「小さい車を造らなかったことが問題だった」として「原因は分かっているので、再建は早いだろう」なんて宣っていた。が、問題は「小さい車を造らなかったこと」ではない。「小さい車『も』造らなかった」からだ。

世界の自動車市場と成長市場を見て、売れる車を輸出するビジネスモデルならば、主流はその通り小さな車だ。だが、GMが破産法適用に至った背景には米国内市場があり、中国から完成車を米市場へ輸出することは考えても、わざわざ東南アジア市場で売る車を造ろうなどとはしていない。大きな車しか売れない市場だったのだから、小さな車を造らなかったことは問題ではない。必要だったのは、大きくても好燃費の車であり、小さな車はあくまでもセカンドカーなどのニッチマーケット。スズキはその隙間を“とても上手に"埋めてきただけだ。

フルサイズのピックアップトラックが日本で言う軽自動車のポジションに相当する、アメリカ市場。そこは、マッチョな車が大好きなアメリカ人気質というDNAが未だに、完全にはぬぐい去られていない場所だ。表向きはハイブリッドや電気自動車など好燃費の車にシフトしているかのようだが、彼らの心の奥底には、デカい車でパワフルにすっ飛ばしたいという感性が、まだまだくすぶっているはず。或いは、それは絶対に変えられない本性かも知れない。だから、大きくて早くて好燃費の車を急いで造れれば良いのだし、そこを深読み・先取りした戦略が必要だったのだが、見事に見誤ってきた。好燃費=小型車という既成概念こそは、それを妨げた一要素だろう。

日経ビジネスのサイトに、モータージャーナリストでもある牧野茂雄氏の書かれた、「次は『日本車離れ』という懸念」と題したコラムが掲載されている。その牧野氏のコラムで論じられている「必要なのは『クルマの新しい価値観』」は、7回に渡って書いてきた「自動車の変わり目」の一つのポイントでもある。「クルマの新しい価値観こそが日本市場には求められているのではないだろうか」─ 然りであるが、問題はその価値観とはどのような価値観なのか、だ。

例えば日本では、知事会が提言している高齢者向け自動車の開発のようなテーマがある。公共交通こそが解であるかのような論は、都会では通じる面もあるが、地方での暮らしを無視した側面は否めない。知事会の提言は、高齢者にやさしい自動車の開発であり、高齢者に免許を返上するよう求めている行政とは一線を画した、地域社会存続のために欠かせない、クリアすべき課題である。

しかし、事は高齢者と交通行政に留まらない。所有する喜びや資産価値を担保できない製品であるなら、例え自然に優しかろうが好燃費だろうが、今一つ個人が所有することが躊躇される。カーシェアリングは車を個人で所有する価値の崩壊を示していて、ある種の例外を除き、自動車が既に所有願望をかきたてないモノに成り下がっていることの表れだ。所有願望を抱けない車が多いという現実は、プリウスとインサイトに需要が集中していることからも見てとれる。

'80年代末から環境問題が論じられ、提言されてきた背景には、今回のような恐慌を経験することなく、なだらかに持続可能な経済成長を基本に、環境と経済を両立させた方が良いという思惑があった。それを今までサボってきたこととアメリカのバブルという二つのツケが、経済危機をトリガーにまわってきて、突如全てが正反対になるような大きな変化を、半ば強制的に受け入れざるを得なくなった。これは、持続可能な経済成長のために想定された変化が、バリアフリーのスロープではなく階段になったようなものだ。

リセールバリューに妥協した車選び然り。それは、自分なりの価値観・価値判断ではなく、保守的な資産保全。だが、BMWやメルセデス、フェラーリといった高級車や個性溢れる車のメーカーがこの恐慌にも耐えていることを見れば、望ましい資産保全は保守的な価値観とは必ずしも一致しないことが分かる。プリウスをフォードTに例えるなら、それから数十年かかって発展した一通りの自動車群の持つ個性が、既にニーズとして潜在すると考えると分かりやすいだろう。

既出の山のようなヴァリエーションにハイブリッドやクリーンディーゼルなどの技術を填めてやると、答えが出る。脱線して恐縮だが、私自身はシトロエン・メハリや初代バモスホンダ、或いはミニ・モークのような、まるで裸の、プラットフォームだけのような軽量ボディ・細身タイヤのスモールバイオディーゼルSUVも思い描いている。

いずれにせよ、コンピュータ制御などで可能になった多品種少量生産の技術も既出だから、多彩な価値観に応えた多車種の製造販売は、決して難題ではないだろう。プリウスとインサイトに集中した需要が一段落する頃までに、日本の自動車メーカーが、そうした価値観変化への回答を矢継ぎ早に示せると良いのだが…。