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Friday, January 09, 2009

荷が積めること ─ これは、公共輸送機関では賄えず自動車が必要となる、最初の条件だ。今の日本の鉄道や駅舎は最低最悪で、赤帽だっていないし、旅の大荷物を運ぶことが考慮されていない。写真家が写真機材を運ぶように、工具や道具、資材を運ばねばならない業種は数多い。農家だって農機具を田畑へ運び、収穫物を集荷場へ運ぶ。合同集荷とかいって巡回バスのようにトラックで田畑を走り回っていられるわけがない。こうした…

荷物運びのニーズのある方々には、公共輸送機関では応えられない。或いは、公共輸送機関で事足りるという方々とて、背後に宅配便など自動車輸送があればこそ、そういう立場でいられるわけだから、荷車としての自動車は欠かせない。

これが自家用となれば、アメリカでこそピックアップトラックから人生が始まるとも言われるわけだけれど、日本なら荷と合わせて、“必要とするだけの人数が乗れること”も要件になるだろう。但し、多人数乗車なら、或いは荷室もだが、掃除が楽でもあること。救急車を考えたら、病人を円滑に搬送できることなんてのまで条件に入ってくる。具合の悪い人の病状を悪化せずに運ぶことは、デリケートな精密機器の安全な輸送にもつながる。

そんな様々なニーズを考慮して行くと、真に快適な最大の移動空間であることが、一つの条件となる。例えば、今は7シーターといった乗車定員の多い車が流行っているが、恐らく、多くの場合に不要な重たいシートを無駄に運ぶ結果になっているのではないか。だから、いままでの自動車の概念にある積載能力 ─ 重厚長大豪華絢爛シート満載ではなく、あるところでは“「足るを知るべし」の節約感覚=美徳”を発揮し、あるところでは思いっきり贅を尽くすが、それは肥満ではない、といったあたりが鍵なのだろうと思う。軽自動車のデッキバンや昔のサニートラックなどは、ある意味、それなりに良いところを突いた車ではなかろうか。

欧米の巨大エンジンを搭載した四輪駆動車には、それなりの存在意義がある。被牽引車=トレーラーを引くのだ。キャンピングトレーラーやホーストレーラーなど、目的に応じてモノを運ぶとき、初めて巨大エンジンのパワーの辻褄や、燃費の間尺が合うのだ。だから、日本のように牽引車と被牽引車をワンセットにしてしかナンバープレートが取れない仕組みでは、そんなパワーは無駄になりがち。合理的な積載能力を考えると、一つには電気モーターで連動する被牽引車というのもオモシロイかも知れない。電動アシスト自転車のように、牽引車のパワーを被牽引車に備えた補助モーターで補うのだ。そうすれば、牽引車が牽引していないときに不必要なパワーを使って無駄にすることはなくなる。トレーラーが補助パワーなら、牽引車とセットという考え方でも悪くはない。但し、その場合の被牽引車は一定の規格範囲で複数を用意・交換できるほうが利便性・応用性が高くなるから、柔軟に考えられたほうが良いだろう。

軽自動車クラスの4〜5名迄の乗車定員+若干の積載が基本で、普段は軽快な移動の道具。より多くの人・モノを運ぶときには、その増加分に見合った補助動力を有するトレーラーを利用する ─ 私には、かなり理想的な車になりそうに思えるのだけれど、どうだろうか。