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Thursday, January 08, 2009

年頭元旦から放送されているHONDAのTVCFが示すように、トヨタの赤字転落に見られるごとく、内燃機関による自動車という20世紀を象徴した産業が、変わらざるを得ない時代の変わり目にある。健康のために控えられるタバコ産業など、一つの産業の勃興と終焉は、それなりに感慨深いものだが、ことが世界経済の大動脈だけに、そんな悠長な感慨に浸っている気分にはなれない。'80年代末からクローズアップされていた環境問題に気づいて素早くモーションを起こしていれば、今頃余裕で対処できたのかも知れないが、無視し続けてきたのだから、現状は、たどり着くべくしてたどり着いたところだろう。

自動車の黎明期に、フォードが従業員をユーザーにすることで事業拡大と製品普及に成功したことは、以前にも書いたし、誰でも知っている史実だ。その自動車は、若者が結婚相手を見つける範囲を広げるなど、人々の交流範囲を大きくもした。今は、インターネットが普及したことで、この範囲はほぼ全地球規模的に拡大していて、自動車がもたらしてくれる行動範囲は、具体のヒトやモノなどが移動しざるを得ないところに限られた恩恵となっている。電話や無線通信による情報革命の種火が、インターネットで爆発的に燃え上がったわけだ。

このような変遷に自動車メーカーが追従できなかったのは、じわりと起きつつあった潮流の変化への感性が鈍かったからだ、とでも言うべきだろうか。

日本で見れば、免許取得人口そのものが減少している。少子高齢化なのだから、これは基本的に自然なこと。その基本の上に、公共交通機関が充実していることで、都市圏では個人レベルの移動手段の必要性が薄いことなどもある。しかし、アメリカほどの面積・人口にもなると、どう考えても、公共輸送だけで賄うのはかなり無理がありそうだ。

それは、日本の田舎にも言えることで、どうしても自動車が前提になる。自動車のこれからのビジョンでは、内燃機関に代わる新しい動力源や、事故を未然に防ぐ制御装置など、アイデアは既に出尽くしているし、各メーカーも今や、そうした次世代製品に向けて邁進しようとしている。だが、そこで作られようとしている自動車は、果たしてこれからの人々のニーズを汲み取ったものになるのだろうか。

今、既にある自動車を見ていて、新型車が売れないのには十分な理由があると感じる。白物家電のような外観もさることながら、一つには、機能。人々が自動車に求める機能は、移動する居間だけなんだろうか。大昔、ワンボックスを持っていたことがあるが、後部座席に乗った人は数あれど、掃除を手伝ってくれた人は皆無だった。オーナードライバーは運転手でもなければカークリーニング業者でもないのだから、そんな悲しい目に遭う車は二度と御免と思ったものだ。

荷物は積めて欲しいが、燃費は二桁以上で。税金だって節税できたらウレシイし、長距離でも疲れず、悪天候でも安全なこと…挙げると結構、色んな条件が出てくる。以下、5回に分けて一つずつの課題を追って考えてみることにするが、これから述べてゆく各項目の意味・解釈と案では、近未来に向けて改善の取り組みを可能にする法改正が必須となるところが少なくないことを前提としておきたい。法の規制を前提にしては改善案は描けないし、優れたテクノクラートが活躍できる状態になければ、革新的なモビリティは実現しづらい。頭ごなしにディーゼルを悪と決めつけてしまったような体たらくでは、まるっきりダメなのだ。