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Monday, July 09, 2007

人間の脳の種類とGUIの認識、そしてその操作性の関連による区別は、恐らく複数あるのではないだろうか。直感的なインターフェースと言うが、人によって、直感で操作を会得できるインターフェースが違うように思うのだ。

例えば私自身、マックを使い出して、結構な時が流れた。本気でWinから乗り換えできたのはOS Xのおかげ。と、いうのも、OS9までのインターフェースは私には訳の分からん妙なものでしかなかった。この2つのOSの“分かる・分からない”や“使いやすい・使いづらい”の理由こそ、インターフェースの違いだ。一つには慣れがあって、それを否定する気はない。けれども、どんなに我慢して「そのうち慣れるだろう」と思って使い続けても、ダメなものはダメだった。WinとOS9までのMac ─ そこは、ひょっとすると二種類ある人間の脳の分かれ目ではないのだろうかと思う。むろん、そんなことに学術的な根拠は見あたらない。人間の違いは言語と宗教によるなどといった説はあるようだが、思考回路の出来具合が違うなんて、誰も言わない。だが、この“分かるもの・分からないもの”や“使いやすいもの・使いづらいもの”に分かれる原因もまた、他に思い当たらない。

マクロメディアがアドビに買収されて久しい。CS3ではGoLiveがセットから外れ、Dreamwaverへの移行が勧められている。セット販売で値段は恐ろしく高くつくようになったのはさておき、ここでOSと重ねてみると、似たようなことがMacromedia製品とAdobe製品の違いに言えないだろうか。私にとっては、GoLiveは使えてもDreamwaverは非常に使いづらかった。ストレスが募るあまり、クリエイティブワークどころではなくなる。つまり、私にとっては直感的な操作を邪魔するインターフェースなのだ。マクロメディア製品はほとほと駄目で、やむを得ずFlashBasicこそたまに使うが、作業は文字通りの苦行である。一方で、それらが得意な人がいるということは、そうしたインターフェースのほうが馴染むし直感的だと思える人がいるのだろう、タブン…。GoLiveの良さは、他から移植したソースを壊さないことにあった。一方のDreamwaverは時としてソースに悪さをすることがある。コトが起きると、それはもうNightmare waverでしかない。

そもそも、本当にW3C準拠の綺麗で完璧なタグを書いてくれるGUIのツールなど存在しない。テキストエディタで描かれるタグは、人間の頭脳がまだまだアプリケーションよりも勝っていると教えてくれる。ただ、そこでは人間の頭脳がイメージをタグで表示される結果に翻訳している。これは、タグコマンドで視覚表現物を創出することで、小説を書いたりするのと似ているように思う。一方、Photoshopの操作はWin・Macを問わず、実際の写真にまつわる作業を模倣しているせいか、会得し易いと感じる。レイヤーやパスといった学習する上での敷居はあるけれど、覚えてしまうと、考えるより先に手が動いている。現実の手作業の世界の感覚をGUIで上手に再現して行くことが、先ずインターフェースが比較的広く受け入れられるものになる可能性を高める一つの方法なのだろう。

一方で、ミスを減らすためのインターフェースのありようという観点も必要だ。消去のような大きな影響を与える操作は、単にワーニングを出せば良いというものではない。なぜなら、やっているその時にはそうしたいんだと「思いこんで」いるからだ。時として否定疑問への英語の返事でYES・NOが逆のせいか、自動車運転免許の試験かと思うようなトラップに出会ったりするのも、困惑の要因。こうした場合のミスを補うのに有効なのがバックアップだけれど、なかなか思うに任せない。次期Mac OS X LeopardのTime Machineは代表的な対応策だと言えるだろうし、それもまた、今やインターフェースの役割だろう。

MSは日常生活で利用するシーンを想定したOSの未来形“Surface”を公表した。なるほど、サイトで見る限り、なかなかスマートかつ手軽なインターフェースのように見える。だが、あの表面はすぐに手垢だらけになるんだろうなぁ、と思うとゲンナリする。少なくとも、コンテンツを制作する側にあるクリエーターが普段活用するインターフェースではなかろうと思う。ところで、あれをリセットするctrl+alt+delに相当する操作は、なんだろう。「画面に頭をぶつけてください」だったりして…