See USA -3-


フォーコーナースを抜けると、レースはアメリカの軽井沢とでも呼びたいような、サン・ユァン・カントリーに入る。(写真右・DC-1)
1835年にメキシコから独立したテキサスは1836年にはテキサス共和国に。1845年にアメリカ合衆国に州として併合されたが、 そのテキサスの北西部が、1850年に合衆国がテキサスから購入した今のデンバー・ユタ州境。つまりコロラド州西端である。コロラドは1861年に準州となり、1876年8月1日、独立宣言から100年目に38番目に州に昇格したことから、百年州(Centennial State)と呼ぶことがあり、 8月1日は合衆国加盟記念日(祝祭日)となっている。
農牧では美味しいデンバー牛が有名。州都デンバーが興るきっかけになった金・銀、さらに鉛に加えて石炭、そして世界一と評されたクライマックスのモリブデンといった鉱物資源があり、デンバーはエネルギー産業の本拠地として注目されている。

レースはコーテツからデュランゴへR160を走る。道路脇には観光客目当てにティピーを飾る商店があり、その南側にはメサ・ヴェルデ国立公園がある。16世紀に忽然と姿を消したプエブロ・ネイティブアメリカンの遺跡、アナサジのある地帯である。
R160から北側は、サン・ユァン・ナショナルフォレスト。キャンプやオフローディング、マウンテンバイクなど、自然がこれほど身近に遊べるフィールドになっている地域は,世界でも希だろう。
平和を好んだというネイティブアメリカン、プエブロ族に思いを馳せながら、レースは東へと進行する。レース全体で登り勾配が最もきつくなる処。高低差も大きく、最高地点は1万フィートを越える。高山植物の自生する路肩が黄色い花で彩られていた。(写真左下・DC-2)
サン・ユァン山脈はアメリカ大陸の分水稜であり、まさにこの山脈を境として、河川は東西へ流れる。

山岳地帯を抜けると、レースはのどかなコロラド東南部へと移り、287号線をスプリングフィールドから南下、オクラホマ州境を越えてボイスシティへ到る。この南下ルートは、1868年2月にリヨン砦を出たジョージ・カスター中佐率いる騎兵隊が通った道筋に近いようだ。
その闘いでは、南シャイアン族の首長は白人と友好関係を結ぼうとしていたが、ワシタで野営している時に騎兵隊に虐殺されたという。



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©Daisuke Tomiyasu 1996