
ずっと使っていたデジカメが壊れて、買い換えざるを得なくなった。しかし、ずっと見ていて「欲しい」と飛びついたデジカメがなかったことで分かり切っている通り、代替の一台を選び出すのは尋常ではなかった。
この買い物は普段メモ代わりの写真を撮ることと、「写真家たるものカメラを手放すべからず。持ってなければただのマヌケ」ということで、肌身離さず持っておくためのカメラ探し。決して、高性能・高機能を求めているわけではない。でも、どうしても「デジカメ買うなら何が良いですか」と聞かれる側の立場だから、自ずと慎重になる。なんせ私が持っていると「良いカメラなんだろう」と自動的に、勝手に思われてしまうようだから…。
各社のWebサイトをサーフィンしつつ数日間さんざ悩んだ挙げ句、選んだのはCoolpix S51で、直販専用のグロスブルーのモデル。6月の娘の誕生日にS50のブラウンをプレゼントしていたのだが、その後継機を自ら手にすることになったのは、消去法の行き着く先が一緒だったということだ。
画質が犠牲になっても薄型?
カメラが届いて真っ先に呆れたのが先に書いたバッテリー残量表示の問題。画質はなんとか75点。レンズが出入りせず、可動部分が少ない分だけ丈夫だろうとは思うけれど、ここまで薄型にしているせいか、いかにニコンレンズ、いかにズーム比が3倍に過ぎなくても苦しいようで、実際、倍率の色収差や広角時の樽型歪曲の呪縛からは逃れ切れていない。もっとも、Photoshopのレンズ補正フィルタで修正可能な範囲に留まっているし、この程度は、特に色収差はデジイチでも出るレンズが少なくないので、許容すべきところかも知れない。
確かに最近のズームは良くなったが、それは広角系と望遠系をまたがない場合。広角と望遠は得ようとする像のありようが逆さ。超望遠は本来焦点相応の口径と鏡筒長が要るし、広角系は像を受光部分の枠内に平らに照射するレンズの働きが重要になる。本体を薄くすると、必要な光学系の長さを稼ぐために沈胴式(レンズが繰り出すタイプ)にするか、スイバル式にするかしかない。沈胴式は本当ならメカが複雑になる上に光軸を保つという余計な仕事が出てくるので、スイバル式やディマージュのようにプリズムで長さの得られる方向に曲げるといったアプローチが正しい。かけられるコスト ─ 市場性から導かれる販売価格を左右するそれは、決して青天井ではない。非球面レンズなどを駆使して薄型に収めるか、大きく長いレンズを沈胴式で格納するか…どっちにしてもコストがかかる。ユーザーは本当に求めているものを知らないから、勝手に薄型が良いと言う。結果、重量や耐久性などと案配して画質も犠牲にしたカメラばかりが出来ているように思う。そうしたカメラ群の中では、S51はまぁ、腐ってもNikon。一般的には我慢すべき範囲に収まっているというところか。
ホールド性も犠牲
画質以上に問題なのが、とにかく持ちづらいこと。VR機能があってもブレ易いのだ。京セラの撤退でコンタックスやファインカムがなくなった今、スイバル型を期待できるのはニコンくらいのものなのだが、ラインアップされているのはやや大きめのS10だけ。一台である程度広い用途をこなそうと思えば、だからS10が正解だし、SQのような良いデザインの製品が蘇らないかと切に願う。
薄型優勢でスイバルがなくなるような動きを先導したのはSONYやCASIOではなかっただろうか。どちらも根がカメラメーカーではなかったが故だろうが、それらを見せながら「まだデジカメを使っていない」人たちを対象にマーケティングすれば、ブレることなど忘れて薄いほうが良い、モニタはデカいほうが良いと答えてしまうのだろう。だが、実はホールド性はもう一つ、ありがちな速写性と密接に関連している。ホールド性の悪いカメラで慌てて撮ったら、確実にブレる。慌てて撮ってもブレないのは、確実にホールドできてこそなのだ。いかに手ぶれ防止機能があろうとも、基本的にブレるホールディングしかできなければ、元の木阿弥。顔に押しつけるわけでなく、右手が十分にカメラを包み込むでもない。まして左手で下から支えるなど先ずしないだろうから、ブレて当然。結果、良い写真が写らないカメラに成り下がるというわけだ。
老眼の私にとって、大きなモニタは有り難い。だが、それもちゃんとホールドできた上での話。老眼で見えないから距離を離すし、離せばますますホールドはいいかげんになる。「老眼鏡がないと見えないモニタ」なのは、メニューの文字が大きくなっていることは別として、モニタサイズと無関係なのだ。これがスイバル型でのことなら、二眼レフのように腰のところでホールドできるから、カメラは安定するし、被写体も、老眼でも見やすい。
ここではっきり述べておくが、広視野モニタはスイバル型でないことを解決する回答にはならない。薄型デジカメのホールド性の悪さはピカイチで、メーカーを問わずだ。こんな体たらくの製品をただ小さいからと有り難がって皆が買った挙げ句、スイバル型やバリアングルモニターを備える製品がなくなってきたと思うと悔しい。それほど、スイバル型ならばブレにくい。なぜなら、スイバル型は二眼レフのように上から覗くように撮影できるなど、ホールド性とアングルの自在性を兼ね備えるからだ。回転させるうちの半分はグリップ部となり、しっかりホールドできる。それが、このようなカード型ではつまむようにしか持てない。モニタが巨大になってしまっているから、尚更だ。
撮影後に見て楽しむ機能としてモニタを捉えているなら、これまた本末転倒で、阿保らしい。ちゃんと撮れないのにどうして、それを見て楽しめるというのか。ブレてますねぇ、と恥をかかせるのがオチ。但し、この問題はS51のみならず、今時の全ての薄型デジカメに共通する。それで「デジカメで撮ったらブレてて使い物にならない。やっぱりフィルムだ」なんて言うのは、全くのナンセンス。フィルムカメラはパトローネの厚みを超えて薄くはできないから、嫌でもホールドし易い厚みになってしまうのだ。ちなみに、CanonのPowerShotシリーズはその厚みを、単三型電池の利用という美点を兼ね備えることにつなげている。
プログラムされた撮影技術と画質
撮影モード選択はいつの間にかプロの技をプログラムとして抱き込むようになったが、その完成度も上がってきたのが分かる。
しかし、RAWモードがないので所詮は一発勝負に近い。作品作りをするようなカメラではない、という割り切りは果たしてRAWモードがないこととバーターにできるのだろうか。RAWなら事後調整で救えるかもしれない絵が、取り捨てになることが避けられないのだ。このレベルのカメラでも状況に応じてRAWモードを選べたって、決して悪くない。前述した収差の補正をかけた画像の再保存ということもあるのだ。
フィルタ類が装着できないのも、然り。コンタックスは良くもまぁ、あのコンパクトさでフィルタ装着を可能にしていてくれたものだが、デジタル調整ができるのにアナログなフィルタでそれを担う必然性は、確かに「ない」。但し、唯一こぼれるのが偏光で、私は常用することはないけれど、プロがいつもポケットに忍ばせるようなことをイメージすると、惜しいと思う人もありそうだ。コンバージョンレンズを使ったりデジスコにしたりといった楽しみの範囲も狭まるが、それはまぁ、欲張りすぎというところか。
広角側については焦点距離が若干長めに留まっているけれど、対象によってはパノラマ撮影で補える。このパノラマ補助機能と今時のスティッチソフトは非常に良くできていて、相手が動かない対象ならかなり綺麗につないでくれる。
いかに完成度が上がったとはいえ、モード選択はどうしてもまどろっこしい作業になる。プロがプロであるのは、生理的反射動作としてその対象に合うように設定を変更するからで、撮影モードを「えぇっと…」と選んでいるヒマなど、ない。モードダイヤルが外部に、フィルム一眼レフのシャッター速度ダイアルのように備わっているカメラ群は、それを意識して、選択し易くしているのだし、ニコンも作品づくりを意識した上位モデルではそのような配慮をしている。が、このS51では残念ながらそこまでは至っていない。メニューからダイアル選択が利くのだから、シーンモード選択画面へショートカットするような設定を備えていたらより良かっただろうと思う。
腐ってもNikon
悪いことばかり書いてきたので、最後に良い点にも触れておこう。確かに小さいし、軽い。三脚穴もちゃんとあって、常時携帯を前提としたバックアップカメラとしては、腐ってもNikonである。RAWモードがあればなお良いが、大きめの画素数なのも有り難い。
ドライバや専用ソフトをインストールしなくてもMacに接続すればiPhotoで本体が出てくるので、サブ機材としてメイン機材でのデータを処理する環境に影響するような余計なアプリをインストールしなくて済むのも良い点(本当は外部ディスクやTwainデバイスのようにつながってくれれば最高)。
但し、付属のNikon Transferで保存先を別ドライブに設定できる点は、褒めておきたい。OSの入ったメインドライブに画像を突っ込み続けた挙げ句、仮想メモリ領域がなくなって起動すらままならなくなったり、OSのトラブルで再インストールなんてときに大事な画像が一緒になくなったりする恐れがないからだ。パソコンがなくてもプリントまで完結可能なのは今時のデジカメとして当然だというか、やはり売るからにはできるだけ広いマーケットを得たいわけで、この要件も満たしている。
顔検出センサーが備わったAFはこのカメラで初めて使ったが、なるほど良くできていて、私自身がデジイチでMFで合わせるのには劣るとはいえ、そう捨てたモンではないレベルに育ってきているのは実感できた。老眼が進むといつかはAFに頼りっきりになるのかなぁ、と思うと悲しいが、そうしたことも無用な懸念に過ぎなくなるかも知れない。
そして、古びたポリバケツや便器のような薄い色ではなく、カメラ離れしてすらいるドレッシーな色(ブルーが限定なのがもったいない)。これがこのままスイバル型だったらなぁ、と思うこと、しきりだ。一般的に広く使われるカメラなのだからと言われればそれまでだけれど、持ってなければただのマヌケの写真家が常時肌身離さず持っていられるカメラというスタンスの一台だって、NikonやCanonならラインアップしていて良いのではないだろうか。それが、多くのプロユーザーを擁する両社のステータスにもなるのだから。
Posted by nankyokuguma at 16:05:24. Filed under: Photo
