大丈夫のはずの6630の充電池だが、ある日突然、宅配便で交換用電池が届いた。古い電池は運んできた宅配便に託して返却すべしとあって、忙しいだろうに、宅配便のオニイチャンが暑い中、汗を拭きふき待っている。
慌てて6630を取りに部屋に戻り、電池を取り出して返却用封筒に入れた。怪しきは全て交換、ということなのだろう。確かにそのほうが安心だし、とても丁寧で真摯な問題への対応だと思う。でも、交換用でやってきた電池も中国製だった。
その中国では、米マテルの社長が「問題は製造した中国ではなくマテルの設計側にあった」と謝罪。ランチボックスなど一見問題が続いているかのような中国製ではあるが、中国側だって無闇に粗悪品を出しているわけではないようだから、まだまだ問題ごとの背景などを追って見て行かなきゃなぁ、と思う。
ところで先日、コンビニで携帯電話を充電していた少年が1円の窃盗容疑で書類送検されるという事件が大阪で起きた。東電ならぬ盗電。ノートパソコンを持ち歩いている人なら誰でも、一度や二度はどこぞの掃除機用コンセントなどから電源をとったことがあるのではないだろうか。私も、海外旅行の空港ロビーなどは言うに及ばず、いろんなところで電源を拝借してきたが、これもそのうち書類送検されるようになるのだろうか。
そういえば昔、日本国内長距離ドライブに電気自動車で挑戦した方が、深夜に自動販売機の電源から失敬したとか手記で書かれていたように記憶している。電気スタンドなんてないのだから、やむを得ないことだったのだ。
充電スタンド、充電カフェといった充電を付加価値サービスとする店が出ても良いくらい ─ 或いは、もう既にあるか、わざわざそれをうたわずとも、基本的に、“丁寧に”一言断るなりすれば、あなたの風体や相手の嗜好、虫の居所にもよるとはいえ、先ず給電を断られることはないという暗黙の了解だと思うが、どうだろう。
実際、未だに充電池と充電方法の問題は、本当に深刻だと思う。太陽電池を備えたジャケットやバッグ類なんてのもあるようだけれど、こういつまでも暑くてはジャケットなんぞ着ちゃあいられない。デジカメも、単三電池でスペア入手が簡単なモデルは若干大きく成らざるを得ない代わりにどこでも電池が手に入るのに対して、流行の薄型はことごとく専用充電池で、電池が切れたらただの不燃ゴミだ。
ユピキタス時代の給電・充電方法には靴から体を通してデバイスに給電したり、電波に乗せてしまうなどのビジョンも語られていたと思う(体を通すのは感電がちょっと怖いか…)。原発が震災にあったことからクローズアップされた発電能力の問題から末端の給電方法まで、電気の流通も時代の変化に合わせた変化が必須のターニングポイントにあるのだと思う。腕時計は太陽電池で充電されるようになってきたが、そうした自己完結できるデバイスはまだ当分、消費電力が小さいものに限られるだろうから、流通・供給について、もっと真剣に考えたほうが良い。これこそ、ニーズのほうが膨らんでいるのに回答が出ていない、最も大きな今日的課題の一つなのだ。
キーワードは「とうでん・きゅうでん・かんでん」…「東電・九電・関電」ならぬ「盗電・給電・感電」…おあとがよろしいよぉで。
Posted by nankyokuguma at 09:00:10. Filed under: Goods
