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Monday, November 25, 2013

満月の前後、夕方の愛犬の散歩どきに限って、その月の出に出くわす。そんな時、カメラと簡易三脚は常に持ち歩いていても、なかなか、「今でしょ」「ここでしょ」というところで撮るのは、難かしい。もともと計画的に、そこで撮る気で機材を持ち出し用意していれば別だが、どこでそうなるかなど分かりもしない気まぐれな散歩の途中のこと、予期せぬ機会に出くわすと、悔しい思いをする。

だが…

ISO1600実用域

いかにデジカメといえども、ISO1600を越えた高感度での撮影など、ラチチュードが狭まり荒れた画像になりがち。さもなければ、油絵画質と言われるような、ノイズリダクションの効きすぎたベッタリボンヤリの画質になっていた。だから、おおよそISO6400だの12800だのはもとより想定外で、諦めていたのである…つい先日までは。それでも、ISO1600が実用域になっただけでも大したモンだった。なんせ、ISO1600の銀塩ときたら、厳しく言えば、粒状性、コントラストやトーンなど、どこをとっても「一応、写りました」の次元を越えるものではなかったのだ。

だから、Pentax K-5IIsでDSLRの高感度が使える状態にあると気付いた時には、正直言って「たまげた」。が、それでもISO1600どまり。6400ともなれば、ノイズリダクションの恩恵にあずかったところで、やはり、荒い印象は拭えなかった。

偶然の発見

そんなこんなで、Pentax K-5IIsにオールドレンズでワンコ写真を楽しんでいる分には、夕方、秋口で暗くなってきてもまだ、撮っていられた。だが、仕事のCanon EOSでは、むろん要求そのものが違うからでもあるのだけれど、ISO1600となるとちょっとね、という感じで、実用域とは見なしていなかった。

作例1

ところが … 実は先頃、EOS1Ds Mark IIについて、来年、CPS会員サービス対象機材から外れるというので、機材を見直し。まだ値の付くうちにと売払い、新しい機材に入れ替えるその機材に、EOS-Mを混ぜたのが、発端。常時携帯するカメラに、ISO400が限界だったRICOH GX200に代えてEOS-Mを持ち歩きだしたから、高感度についての前提が先ず、変わった。

そんなEOS-Mを携えた、ある日。明日が満月という日に、公園でワンコを遊ばせていると、その公園の樹木を眺めている飼い主さんがおられた。何かなぁ、と思っていたら、どうやらその木の背後に、折から昇ってきた月が、ちょうどイルミネーションのように位置しているのが綺麗だったのだ。なるほど、じゃあ写るかいな、とEOS-Mを持ち出してあれこれやっているうちに、手持ち夜景モードなる設定が出てきた。導入してすぐに試した遠望の夜景は、昼間のようになって嫌だったのだけれど、さぁて、どうだろうと撮ってみると…良い感じに写るではないか。

帰宅後にSilkypixで再現像したTIFFを調整して、納得の行くように仕上げてみると、まるっきり不満がないではないけれど、手持ちでスナップのように撮ったにしては、上出来だった。

固定概念を破る高感度

このモード、どうやら天体撮影では常識的な「コンポジット」という手法を自動化したものらしい。高感度で荒れるディティールを滑らかにし、細部の再現性を高めるなど、有効性は高い。それを、カメラ内で自動的に行っているから、撮影後合成するのに少々待たされはする。だが、その位置合わせも完璧で、おおよそ手持ち撮影の結果とは思えない結果が得られる。

作例2

しかし、動くモノには無効だろう…と思いきや、翌々日、今度は月と列車を撮影してみて、またも裏切られた。これがなかなか、面白い味を出すのである。

こうなると、ひょっとしたら…とその奥を極めたくなる。基本的に、いわゆる夜景には向かない。夜景ではなく、暗い場所での撮影用と思ったほうが良い。と、言うのは、夜景に使うと昼間のような景色になってしまうから。全体に明るすぎて、夜景でなくなるのだ。むしろ、暗がりにほんのり照らされる対象物のような状況が、最適。夜の暗がりにほんのり浮かぶ何かのような、通りかかりにふと気になったそのシーンが、モノになる ─ そんな感じだ。

その写りは、階調といい粒状性といい、おおよそISO12800とは信じがたい。レンズのイメージスタビライザーと相まって、見事に暗がりの印象を再現するのが可能になった。まさに、固定概念を破る高感度性能だ。DSLRは新しい製品ほど優れているのだが、それは特に撮像素子の性能において顕著。ちょっと間が空くと、何かにつけて、桁違いに良くなったのが如実に分かるほどの進歩を遂げている。

比較画像

メーカーには、この今の素晴らしさに満足せず、さらに磨き込んで欲しいと思う。例えば、露出の±調整。ピーク部分が飛ばないようにできたら、心象の再現性により優れたカメラになる。加えて、無圧縮のファイルを保存してくれれば、JPEG圧縮による劣化を気にせずに事後の調整・加工ができるようになるので、有り難いのだが。なんせ、MといえどもEOSなんだから。

意外なほどの無関心

ところで、6Dなどのボディで言うなら、マルチショットノイズ低減機能にあたる手持ち夜景モードだが、その御利益は計り知れないというのに、さほど注目されていないような印象もある。実際、これまでのコンデジが搭載していた類似の機能は、真っ昼間のように明るくなるだけだったり、合成にうんざりするほど時間がかかったりと、あれこれアラが目立ち、到底使い物にならなかった。そんな悪印象が、「どうせそう言ってもねぇ」という、機能への無関心を招いてしまっているのかも知れない。

だが、今までの不可能が可能になる機能というのは、実際には、それを使いこなす撮影者が出てきて初めて活きてくるものだ。その、使いこなしに至るためのワンステップを踏み出してもらうには、例えば広告も有効だろう。ISO12800などという超高感度で、これほどの画質を簡単にモノにするのは、携帯・スマホには到底できない芸当。だから、こういう差の付くところを強調しないのは、実に惜しいと思うのである。大昔、フジクロームRT200が発売された時、「闇夜の烏は写りませんが…」というCFが放映されていた。今、このISO12800をしても闇夜の烏は写らんだろうが、それでも、 EOS-M の手持ち夜景 ─ 「これは、使える」。

作例3
▲ 神社の社の奥にある、だんじり庫。祭りの前後には、練習に、打ち上げにと、若者たちが集う。