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Monday, July 29, 2013

「こと」が目に付く、耳に障る

職業上、文章を読み書き校正する機会は多々あるが、ここ数年とても気になっているのが、「こと」。
例えば…

「〜することができる」。一度ならまだしも「〜することは〜ということになり…」のように、幾重にも重ねて出て来ると、もう駄目。
「ここでは〜を食べることができます」(NHKニュース)……う〜ん、それを言うなら「ここでは〜をお召し上がりいただけます」「ここでは〜を食べられます」だろう。

皆さんも、気をつけて見て、読んで、聞いてみていただければ、私が指摘している乱用に気付かれるだろうと思う。

ら抜きの指摘厳格化が発端か

「こと」が頻繁に出て来ると、とても耳障りだ。例を挙げてみよう。以下、〜の部分は、省略した箇所。

〜を示すことで、…のことを知ってもらうことが大切です。〜というのはどういうことなのか〜学習してみようということになりました。〜今後…実行することとします。 〜年度中に完成頂けることになりました。なお〜お願 いすることになりました。

どうだろうか。短い文章の中に7回も「こと」がある。このような例は、枚挙に暇がない。しかも、文章を頻繁に書くであろう方の文であっても、最近は顕著に出て来るのである。これは、どう考えてもおかしいというか、行き過ぎであろう。

思うにこの傾向、とみに強くなったのは、一時ら抜き言葉が日本語の乱れとして強く指摘された当時からではないだろうか。

「食べられます」を「食べれます」というと、ら抜きだと怒られる。ならばと、「食べることができます」に言い換えてしまえば、とりあえずら抜き指摘からは逃れられるというわけだ。

しかし、「ら抜きことば」は日本語としては間違いで、「見られる」「食べられる」のような言い方が正しい日本語だという硬直的な意見がある一方、実際には、「見れる」「食べれる」のような言い方は増えているようだ。これは、自発・可能・受け身・尊敬の四つの意味を、「ら」だけで担うのはむずかしいからだそうだ。だから、可能と受け身とを区別するために「ら抜き言葉」が増殖した、という。調べると、「社会言語学の世界では、従来の可能動詞(動詞の可能形)もら抜き言葉も、どちらも正用と認められている」といった解説もあったほどだ。

ら抜きを恐れずに

ならばこの際、ら抜きの呪縛から逃れて、ある程度ら抜きを許容したほうがまだ良いのではないだろうかと思う。

これほど「こと」が頻繁に出るようになると、ら抜きはまだ、日本語が時の流れによって変化している、その一端として許容し得る可能性もあるのだけれど、「こと」のほうは、ことほどさようにうっとうしく感じるのだ。

せめて、「…のことを知ってもらうことが大切です」を「…について知ってもらうことが大切です」とするように、二度でてきたら一度に書き変えるくらいの気遣いは欲しいし、ら抜きを誤用だとしたい方々にあっては、「ことができる」に逃げずに、ちゃんと「られる」をお使いいただきたい。私自身はもう、「こと」の氾濫には耐えられそうにないから。