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Tuesday, August 30, 2011

8月も終わりに近づいた、先週25日木曜日。ネットニュースやテレビニュースの筆頭は、アップル社スティーブ・ジョブス氏の引退だった。明けて…

26日の新聞には、詳報や解説が大々的に掲載された。

幾つかで目を通した限り、いずれの記事も、ハードとしての製品をトレースし、iMac以後のApple復活という業績を称えていた。だが、この見方はあまりに本質を見失ったものだと、私は感じていた。

例えば、26日付日経3面。見出しは「カリスマ去り IT乱戦」。次々に打ち出されるハードで人々を魅了してきたジョブス氏の後、もはやそのマジックはないと決めてかかっている。だが、この見方はハード偏重による間違いの上塗りだ。

OSがあったればこそ

スティーブ・ジョブス氏によるアップル復活の根幹はOS Xだと、私は思っている。それまでの9の、あの、あまりの酷さ。キャンディのようなiMacのデザインは良かったが、そこに載ったOS9は、Java一つあればブラウザが凍ったように動かなくなる、酷いシロモノだった。方や、WindowsNTや2000は、業務OSとして、とても安定して動いていた。しかし、その酷さと優秀さは、OS Xの時点で逆転したのだ。

その、逆転劇には二つのポイントがある。一つは、スティーブ・ジョブス氏が持ち込んだNeXTSTEPを、当時最も安定していたUNIX系のFreeBSDやNetBSDと混ぜ、カーネギーメロン大学の開発したMachカーネルを基に発展させて、安定性のある処理能力を与えたこと。このOSカーネルの選定時にはWindwos NTも比較対象に挙がったというのは、良く知られた話だ。もう一つは、WindowsがNTから続いてきたビジネスOSと家庭用OSの二本立て路線を捨て、XPに統一したこと。自ずと、不安定な家庭用路線のOSにあったWIndowsの欠点は、NTから続いたビジネスOSとしての信頼性を損っていった。

かくて、安定性とGUIによる操作の易しさ、そして持ち前の「美しさ」から、OS Xは新たなユーザーを得ていった ── これが、根底にあるApple快進撃の基礎だろう。次々とリリースされてきたハードだけでAppleの成長を辿るのは、子供の成長を洋服のサイズだけで見るようなもので、OSに見るそれは、それこそ進学や経験などによる心の成長に喩えられるのかも知れない。

ハッスル・フリーの有り難さ

私たちがパソコンを使う時、対峙しているのは画面であり、そこにある情報だ。決して、CPUやハードディスクとにらめっこしているわけではない。応答が早く安定している方が、良いOS。そんな基礎的な部分でしっかり支えてきたればこそ、iTunes、iPhoneそしてiPadと続いてきたハードバリエーションの拡張でも成功したのではないだろうか。

Macユーザーの、とある友人が良く、Macを評して「ハッスル・フリー」と言っていた。その意味を、OS XのMacに乗り換えて以後の私は、十分に感じてきた。マシンのメンテナンスに費やす時間など、ほとんど要らない。何か新しいものをつなぐとしても、ほぼ自動的につながっている。あっちからドライバをダウンロードし、こっちでFAQを読みあさるなどといった悪戦苦闘は、ほぼ皆無になったのだ。検証用に起こすXPマシンは、終わろうにもアップデーターインストールでいつまでも終わらないが、かたやMacのほうはさっさとシャットダウンされて、「どうぞおでかけください」と言わんばかりに、私に自由な時間を与えてくれている …… iPhone・iPodがお供についてはくるけれど。

純正品の強みはあるけれど

Appleには、Appleのみが製造するハードという、何でもかんでもつながらないこともないWindowsとは違う、純正品で固めている有利さもある。しかし、ユーザーが安定的に、自分の目的に沿った充実した仕事や暮らしを、パソコンという利器をてこに実現し、継続して行けるのなら、製品を誰がこさえているかなど、正直、知ったことではない。自分で過去を思い出すと、Windowsに填った悲惨な過去と、Appleで円滑になったOS X以後という像になる。それも、自分のマシンだけならまだしも、自社スタッフはもとより、人様のマシンまで含まれていたのだから、どのくらいの負荷だったかはご想像いただけるだろう。

ソフトウェアが動く屋台骨、土台が「OS」。使えるようにしつらえるのは製造販売者の責任であり「責任を果たすためには純正しかない」というのも、一つの見識というもので、サポートも格段にし易くなる。それでも、マーフィーの法則よろしく、間の悪いときにトラブルに見舞われる可能性が否定できないのは、機械モノの常というものだ。

振り返って見れば、MacがOS9に至るまでの悲惨だった期間とは、スティーブ・ジョブス氏不在の期間。それだけに、氏が去ったこれからのAppleがどうなって行くのかは、予断を許さない。だが、一つだけ確かなことがある。前にジョブス氏がAppleを去った時、Appleはビジョンを、彼と一緒に失った。しかし、今回は、そのビジョンを思い描き、未来を拓き続けるのに十分な、OS Xという礎石があるのだ。

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コンピュータ・ハードは、ただの箱。そこに入って動くソフトウェア次第で、腐れ縁の悪友にもなれば、無二の親友にもなる。iPhoneやiPadはさらに、常にそこにあって、手助けもすれば楽しませてもくれる、優れた秘書であり、連れ合いだ。機械のことはAppleなどに任せて、私たち人間は、その機械の先、ネットの向こう側に存在する、人間や社会や自然のことを考えていれば良い ── アプリをこさえる側も、使う側も、ね。そんな時代が、もう始まっているということなのではないかなぁ…少なくとも、Appleユーザーなら…ジョブス氏のビジョンの御利益として。

感謝を込めて、偉大な業績に拍手を送りつつ…


2011年10月14日追記 R.I.P.

この記事を記してから一月ほどたった10月5日、ジョブス氏が永眠された。当日の米Appleサイトホームページには、氏の素晴らしい白黒ポートレイト写真が飾られていた。死してなお、スマートであった。