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Sunday, October 16, 2005

大判の銀塩画像のラチチュードや解像力といった部分で、なぜデジタルカメラでも良いと私が判断したのか疑問に感じられるか、或は分かってないと思われる向きがあるかも知れない。実は、中・大判カメラ用のレンズはそのフォーマットの大きさとフィルムの性能性質から、性能面で35mm用レンズに劣る場合があるのだ。このことを詳しく論理的に説明したWebサイトがあったので、中版で撮影済みの写真を業務用レベルのスキャナーで高解像度で取り込んで拡大し、EOSデジタルで撮影した画像と比べてみたら、一目瞭然だった。つまり…
大判から小さな倍率で拡大した画像よりも、35mmから拡大した画像のほうが優れた結果が得られるケースがあるのだ。

人間の感覚には欲目があり、良いと信じているほうが良く見えてしまう(良いように感じる)。また、光は拡散するので、アナログのほうがどうしても密なように見えるということもありそうだ。しかし、現実には最新のデジタル技術はアナログを凌駕しているように、少なくとも私には思える。

私にとって趣味の天体写真などは典型で、暮らしている神戸東部のような光害地では、フィルムでは何一つマトモな天体として写らない。光害除去フィルタ越しにデジカメで撮影し、コンピュータで処理して初めて、得られる画像ばかりなのだ。特殊とはいえ、こういう対象と条件の場合、銀塩で撮ることなどあり得ない。写らないのだから当たり前だ。写ると写らないほどの差のあるものを、どうしてまともに比較できるだろうか。

1993年のアラスカ。アンカレッジをスタートした犬ぞりレースをポラロイドで撮影した私は、30分もかかりながらスキャナで読み取り、ISHファイル(バイナリデータを文字列化したファイル)にして国際VAN経由で日本の新聞社へ送信した。続く1995年にはデジカメで撮影し、インターネットで送信。それから10年。報道の分野では“やっと”デジタルが当たり前になった。時間を稼ぐことが重要な報道では当然だが、今や、デジタル加工という前提からも、デジタル素材での撮影が大半となり、もはや銀塩の出る幕はほぼ、ない。良い年になった写真学校の同級生もデジタルでの仕事ばかりだというし、昨今のインターネット上での関連した記述を見て回っても同様なので、私が欲目でデジタルを贔屓しているわけではないと言って良いだろう。

そんな体験としての時代背景をもってドライキャビの中身を覗くと、眠っている銀塩機材が可哀想になる。銀塩が好きで、暗室作業も学びたいというような方々に活用していただくほうが、どれほど機材にとっても幸せか。うちの、大全紙バットが四枚並ぶ暗室はとっくに使わなくなり、仕事はPowerMacG5の中のPhotoshopという電子暗室に移っているが、写真に携わる方々が、趣味で、或は時代を築いてきた技法の学習として銀塩を経験するのは、デジタル全盛とあっても必要なことだと思う。なにしろ、Photoshopの操作体系にも、その基本は反映されている。

まぁ、とにもかくにも私は、35mmと6×6の銀塩機材を大量売却したのだった。売り時という意味では、今は最後のチャンスかも知れないとも思う。なぜなら、いずれフィルムがなくなるなどするようなら、いよいよ銀塩機材は無価値になるからだ。

かつて、銀塩写真に危機の時代があった。銀の不足から感光材料が量産できなくなるのではないかと危惧されたのだ。定着液に含まれる未感光でフィルムから除去された銀が回収されるようになったのはこの頃からだが、大きな銀鉱脈が発見され、この危機は危惧に終わった。で、時は移ろい、使い捨てのカメラが生まれるところまで来たその頃、デジタル化の波は静かだが確実に迫っていた。

銀は事足りていても、商業的規模で成立しないなら、フィルムの生産供給とDPEサービスは続かない。人々がデジタルへ移っている今から先、いつまで銀塩の材料供給がつづくだろうか。白黒写真がカラーよりも高くつくものになったのに続いて、カラー処理も、小規模な愛好家や学術の世界でのみ支えられて細々と継続するのがやっとだとしても、残って行けばまだ良い。「なくなることはないと思う」と期待を込めて言いつつも、完全になくなってしまう危惧を抱かずにはいられないほど、今のデジタルへのシフトは勢いを増している。

今や、新聞社の社屋から暗室がなくなって久しい。かつてはフィルムを飛行機でつり上げるなどした報道写真は、インターネットでの送受信が当然になった。画質の面でも問題ないレベルにある今、銀塩の機材にしがみついていても、未来は見えてこない。但し、私の手許にも残っている4×5などビューカメラでは、その技術の基礎が厳しく求められる。そうした基礎までがこの潮流の中で失われるようでは、ちょっと道筋が違うようにも思う。