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Tuesday, June 22, 2010

関西の超特級住宅地「六麓荘」。東洋一の住宅地を目指して1928年から開発された造成宅地で、道幅6m以上・区画面積300坪〜400坪以上。日本初の電線類地中埋設も行われている。そんな、西日本屈指の高級邸宅地だった六麓荘も今やかなり庶民化したとも言われているが、先日、拙宅に泊まっていった建築畑の旧友が、その六麓荘を視察しての感想を語ってくれた。

彼が「洋風建築物ばかりで、さして高級でもない」と言うもんだから、案内した人は意外な顔だったそうだ。実際、彼は「これが屈指の高級邸宅地かい」と感じたのだった。なぜなら、純粋に和建築を行えば、建築コストが50%ほども上がるから。私は、彼との会話で、それに税の問題を加えた。この国では、和室にすると固定資産税率が上がるのである。

屋敷の築造コストのみならず、その後の税負担をも軽くするには、洋館が一番。しかし、それでは、建築物の中でも、住宅という国の歴史と人々の暮らしから歳月を重ねて熟成されるべき文化そのものをも拒んでしまう。

一方で、しかしながら、じゃあ現代の私たちに和の暮らしができるかと言えば、無理。どれほど大変かは、かつて古い家に暮らした経験から熟知している。これは、とても悲しい事実で、イギリスでは築百年は新築と呼ぶなどと聞き及ぶそれとは正反対に、築三十年もすれば「古家付」と、いかにも邪魔な粗大ゴミがあるかのように不動産売買資料に記載される。三十年ほどという超短スパンは住宅に限らず、首都の一流ホテルのビルですら取り壊される体たらく。世界のどこに、そんな短期間でビルを壊す国があるのだろうか。

住宅と暮らしぶり

こうした問題の背景には、戦後あまりに大きく変わった私たちの暮らしぶりがあると思う。懐かしき昭和と言われる、ちゃぶ台のある部屋の景色 ─ 縁側のある家。夜には雨戸を閉める、畳の部屋に障子や襖の仕切りは、今や幻。ここ二十年ほどのハウスメーカーによる住宅は、見事に和洋折衷。それも、本質を外したそれである。

例えば、軒。私が軒の概念に目覚めたのは、アメリカはシカゴで見たフランク・ロイド・ライト設計の住宅。日本で軒の概念を身につけたライトは、それを見事に採り入れ、家々を美しく、かつ過ごしやすく設計した。夏は涼しく冬は暖かい、その庇効果。雨が降っても家屋を守る、大きく突き出た軒。これを理解すると、いかに敷地の問題があるとはいいながら、軒の短い家ばかりなのは少々悲しいところである。「なぜ軒が出ている必要があるのか」恐らく誰も、深く考えたことはなかったのか、或いは、敷地の問題から目をつぶったのが、いつの間にか標準化してしまったか…。

或いは例えば、土間。昔の農家には大きな土間があった。そこは、雨天時や夜間の作業場でもあるなど、多様に活用されたユーティリティスペースだった。狭くゴミゴミした玄関ばかりになった今、あの土間への郷愁を強く感じる。車椅子などを視野に入れたバリアフリー設計でも、段差のない土間のある玄関は極めて有効ではないだろうか。
これらは、うまく採り入れられれば、合理的な機能としての文化の継承案だと言えよう。

一方、例えば2X4の箱の中に入れた畳は、呼吸できずに腐り、黴菌が繁殖し易い。だからといって樹脂製の畳では、どこか寂しい。当然、和室作りの技術も、畳職人の技術も継承されない。

住宅短寿の原因は暮らしの変化

住宅の価値を設備にばかり求める風潮の問題も、ある。トイレや風呂、台所などに最新設備を奢った家が良い家であるかのように錯覚しがちだったりする傾向のことだ。これは、違う。設備は文明の利器であり、自ずと壊れ、或いは手直しが必要になる。しかし、本体である家は、文化に基づくのだ。果たして、我々の住宅が今後百年・二百年と持ち続けるに足る、その基本になる文化が、今の我々にあるのだろうか。和の建築と、その建築を支える技術の伝承はどうだろうか。

片っ端からカタカナ語に置き換え、洋風が垢抜けていて良いとする価値観。それはそれで頭ごなしに否定するものではないが、しかし、一方で、私たちがこの日本でこの先、百年・二百年といったスパンで住宅という個人資産を持ち、その価値が下がらないで続くには、メンテナンス履歴の明示といった政府が考えているとされる策などもさることながら、根幹で、小孫の代まで変わらない生活様式と、それを支える住宅設計 ─ 或いは、変化に対応し得る、しかし長く持ち堪える「家そのもの」が要るのである。

日本の住宅は平均使用年数30年で、欧米より短いとされるが、その理由は新築志向が強いせいばかりではなく、我々の暮らしぶりが高度成長期以後、ずっと変わり続けてきたためではないだろうか。人の価値観や暮らしぶりは多様で、和の価値観が全てではない。この国の文化を深く考えるとき、これから先、ずっと変わらないであろう暮らしぶりに固まったとも、まだ言えない気がする。

写真

実は、拙宅は土足暮らし前提設計で、和室はない。これは、前述の税制への皮肉でもある。同じ2X4でも日本最初の2X4といわれる深江文化村の住宅が、築90年(写真右)。築16年を経た今、果たして私のプランに基づく設計の拙宅は、あとどれほど耐え得るだろうかなどと思いつつ、和の価値をあれこれ愚考している次第である。