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Friday, September 04, 2009

何でも経済に結びつけ、誰かが儲けている、儲かるから世の中をそう動かしていると決めつけて、いかにも穿った見方をしているように振る舞う向きがある。最近は環境問題も、こうした論調の被害を被ることがある。達筆な識者はなおさら、そのネタのおいしいところだけを取り出してあつらえるのが上手く、始末におえない。Voice誌 2009年9月号の巻末御免で谷沢永一博士(関西大学名誉教授・文学博士)が記されている論も、この類だ。

谷沢博士の巻末御免には思わず拍手を送りたくなる一刀両断の爽快さがあるのだが、今回はさすがにひっかかった。実は思うところあって1年ほどVoice誌を読まずにいたのだが、鳩山論文の一件があって、原文を読もうと久々で9月号を購入した。その巻末に久々の一刀両断。文章そのものは、さすが。だが、内容は「あかん」。

唖然とし、口をぽかんと開けて読み進んでいるうちに、アゴが落ちた。「南極が温暖化しているとか、氷が減るとか協調しているのは嘘である」ときたたのである。国立環境研究所の研究記事に「1969〜2000年の32年間、南極の地表付近では半島部を除き、温暖化ではなく寒冷化した」という論文が、米国のサイエンス誌に2002・2003年に発表されたと紹介されている。同資料を読み進むと、たしかに「南極オゾンホールの発達により、これまで南極の温暖化は抑制されていました」とあるが、結論は違う方向に導かれている。新しい資料を探ると、例えばネイチャーが今年になって掲載した論文には「気象観測所と人工衛星のデータを組み合わせた結果、特に冬と春の間に南極大陸全土で気温上昇が進行している」とあるし、ググればNASAの衛星による棚氷が崩れている写真なども大量に出て来る。報道だけで、こうした大量の観測結果のレポートを捏造するのはおよそ不可能だろう。

「海水面が上がっていないのに上がっていると偽りを流し」に至っては、開いた口がふさがらなくなった。UNEPの前提を敷いてお書きだから、同じAUNEPのサイトの掲載で明解に「海水面が上がっている」ことを示した表を掲載した資料を示しておこう。この件では他に、大阪湾の上昇をして地盤沈下のせいだとした論もひっかかってきたが、それに至っては抱腹絶倒のギャグだ。潮位は東京湾平均海面か潮位観測基準面を基準として表される。ちなみに、実際の大阪平野の地盤沈下は地下水の過剰揚水が原因で、最近は終息したと見られているそうだ。また、気象庁サイトでは、100年で260cm沈下したとするデータはついに発見できなかった。が、東京都市大学サイトで、それが70cmほどに相当すると示したグラフを掲載している研究レポートや、昭和40年から平成18年にかけての大阪の累積地盤沈下量-500mmを示したグラフの掲載された資料は見つかった。

気象庁サイトの資料には「ここ100年の日本沿岸の海面水位には、世界平均の海面水位にみられるような明瞭な上昇傾向はみられません」とあるが、世界的にはIPCCの報告で明らかな上昇傾向にあることも、同じ気象庁資料で示されている。このように今日、幸いなことにw.w.w.上には科学的公平性のある気象データが公表されており、疑問を感じた論調の見極めはさほど難しくない。

同巻末御免にはツバルが沈んでいるのは地盤沈下のためだともある。これは実際、不自然な陸地利用(土地造成等)と自然両方の要因で地盤沈下が起きているらしい。しかしそれは、海水面が上がっているのを否定する根拠にはなり得ない。

谷沢博士は最終段で

一度このように流れができると官庁はそれに予算をつける。環境対策に予算がつくと一部の学者が迎合する。その波及効果が多方面の利益を生む仕掛けとなっているのが実態である。

と締めくくっておられる。この実態については、何ら反論はない。いや、むしろ私も、行き過ぎた商業主義の上に環境が乗って、最近は鼻につくと感じるから、賛成したい。しかし、その発端たる根拠を嘘とするには、無理がある。

'90年前後から世界的に環境問題が注目されるようになり、震災の前年に拙宅を設計したときには、床をコルクにしたり(コルクは樹皮で根こそぎ伐採されない)、節水型便器を使ったりと気を配った。が、当時の建築屋には、どんなに説明しても、屋根にソーラーパネルを設備することがどうしても理解されず、断念した。だから今、手のひらを返したようにソーラー住宅を広告されると、私はどことなく空々しく感じてしまう。

だが、それでも何もしないよりは遙かにマシなのだ。温暖化被害は孫子の代になって出て来るのみでなく、既に今出ており、なおかつ未来に禍根をも残す。願わくば、官庁がつける予算が、虚しいハコモノや委員会を立ち上げるような欺瞞的ポーズではなく、実効性のある研究開発〜商品化や人材育成に向いて欲しいものである。

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ところで、いかにググれば見つかるとはいえ、出典の明示されていない記事では時間が惜しく閉口することも、少なからずある。書籍・雑誌には余白空間があるのだから、必ず脚注で出典を示すべきだ。ましてwebページなら、リンクを張るのは容易いし、そうなっていてこそHTML。それらをせずに筆者の筆が滑るに任せた結果をただ載せたのでは、片手落ち。谷沢博士の同記事もまた、真実を隠した嘘偽りのように見えてしまうというものではないのだろうか。