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Saturday, August 15, 2009

先月公表したマイクロフォーサーズ規格の話について、ちょっと掘り下げてみよう。

そもそも、「ライブビュー専用規格としてでミラーボックスを持たない構造を基本」と、マイクロフォーサーズのホワイトペーパーに定められていることから、Pen-FTの横向きミラーを復活させるのは規格外の話になってしまうようだ。だが、液晶ファインダーのレンズ交換式デジタルカメラ群が「なんちゃって一眼」と蔑視され続けていたというのに、今更改めてこれを宣言する価値があったのだろうか。

ファインダーなしは許容範囲か

筆者は以前から、パララックスという命題において、ライブビューのあるデジタルカメラは既にペンタプリズムを使った一眼レフの必然性を失っていると書いてきた。しかし、電子ファインダーは表示遅延や表示の汚さなどで難癖をつけられた挙げ句、前述の「なんちゃって一眼」なる蔑称をいただいてしまった。一方で、パララックスをある程度許容したレンジファインダーは、バッテリーの温存や明るさ、像の遅延がないといった観点から、採用を望む声が根強くあった。

アングルの自在性や新たな可能性を考えたとき、リモートも可能なライブビューは歓迎すべき機能である。天文撮影においてはピントをシビアに出す機能の一つとしても重宝する。しかし、カメラのホールディングを前提にすれば、人間工学的に完成されたホールディングセオリーがある以上、ファインダーを捨ててしまうのもどうかと思う。

ファインダーから距離を置いて撮影できるのは、6×6(或いは大昔のヴェストコダックなどのクラシックカメラ)であり、4×5のワイヤーフレームであってもファインダーとホールディングの関係はなくならない。これは、6x6版はウェストでカメラをしっかりホールドできるから。今のライブビュー専用機のそれは、6x6を正面向きに直視の枠ファインダーで使ったり、35mm一眼レフをスポーツファインダーで使う状態に似ていて、とても不安定なのだ。恐らく、ホールディングのセオリーを無視しても許容できると判断された背後には手ぶれ防止装置の存在があるのかも知れないと思うが、それでも今一つ、歓迎しかねる判断だと感じている。恐らく、長玉をつけて動体を追いでもしたら「こりゃあ使えん」と分かるのではないだろうか。

求められたビジョンと出てきたもの

フォーサーズのサイトにあるフォーサーズストーリーによれば、Lumix LC1についてユーザーがつぶやいた「これでレンズ交換ができたらなぁ」がヒントだったという。LC1にはレンジファインダー窓のように見えるAFセンサ部が正面にあったから、恐らくそのユーザーはライカMシリーズのようなイメージから、レンズ交換のできるカメラ、小型のEPSON R-D1を連想していたのではないだろうか。

しかし、レンズ交換式とすると、ボディ内に入る埃の問題も抱え込む。確かにダストリダクションシステムはあるけれど、備わっていてもなお、飛ばせない大きな埃があったりすれば無効だ。ズーム比の大きなレンズを装着していたり、テレコン・ワイコンという手もある以上、想定されるターゲットに対してそこまでレンズ交換式が至上命題となり得るのだろうか、という疑問が、私にはどうしても拭えない。そこではデジカメでは唯一、R-D1が実現しているような、古いレンズなどを楽しむといった趣味性くらいの用途のように思う。矛盾はそこにあるのだが、これは後述するとして、それに応じて出てきた製品がライカMやR-D1、フォクトレンダーを小さくしたのとは似ても似付かぬ「一眼あそばせ」では、ヒントをくれたユーザーは可哀想だ。

テレセントリック性にまつわる矛盾

カメラレンズのように可動部分が多い上に交換式で、なおかつ可搬性や耐久性、性能再現性を求められる厳しい機材はそうはないだろうと、天体望遠鏡で、鏡筒のたわみがどれほど影響するのか体験してからというもの、痛切に感じてきた。

マイクロフォーサーズで気になるのも、レンズ筐体のたわみ強度。フォーサーズやマイクロフォーサーズには、像側のテレセントリック性を高めたレンズにしようという、基本的な規格の拠り所たる、レンズからの入射光の直進性という命題がある。キヤノンやPentaxがセンサ表面にマイクロレンズを設けて対処したのとは正反対に、フォーサーズやマイクロフォーサーズが、斜入射特性においてデジタル最適化レンズを求める規格であるとすると、古いOMレンズも使って楽しめるという能書きには少々矛盾があるし、小さく軽いレンズで耐たわみ性をどう確保するのだろうということもある。

マイクロフォーサーズではレンズのバリエーションはまだ極端に乏しく、これから先、マイクロフォーサーズレンズがどの程度増えてくるかも不透明だ。おまけに、フォーサーズやフルサイズのレンズはマイクロフォーサーズで使えるが、逆はない。光学性能の確保の面でも、テレセントリック性を規定しているフォーサーズよりは、マイクロレンズ付き撮像素子の採用という解決の方向性のほうが、望ましいように思う。そこに、レンズ交換という趣味性を加えたらテレセントリック性など考慮されていなかった古い銀塩フィルム用レンズを視野に入れるなら、尚更そうなるだろう。

ところでこれは、実物のE-P1+M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6
をさわってみたから念のために書いておくのだが、みっともないほどびよ〜んと伸びるズームの筐体は相当華奢。調べた限りフードが見あたらなかったのは恐らく、先端にフードを装着して何かに当たるなどした場合、外からの荷に耐えられないなどの理由で、もともと用意されていないからではないだろうか。曲がったら最後で、光学性能は低下するし、円滑なズーム操作やAFにも影響する ─ 「壊れたレンズ」になる。E-P1をお持ちの方は、くれぐれもお気を付けあれ。同じ理由から、極端に重たいレンズをボディだけでホールドしたり、レンズ〜ボディ両端からわざわざたわませるような負荷のかかる状態も、フォーサーズと言わず当然だけれど、避けなきゃあいけない。

将来性に期待しつつ…

今回、たわみのようなことまで掘り下げて考えてみて、ますますフォーサーズやマイクロフォーサーズに疑問が感じられた。機材が小さく軽くなるのは歓迎すべきことだし、実際、私の機材も銀塩EOS1以後、ズームになりデジタルになりと進化するに伴って重くなった。そこにパソコンが加わって、大量のフィルムを鉛のバッグに入れて加えた重さを上回り、撮影行が体力勝負になり果てているから、十分に性能が担保された小型軽量化なら大歓迎。だが、一方でカメラはいろんな環境に運んで使うものだから、それなりに強度や耐久性、性能再現性がなくては困るし、二度と撮り直せないのだから、出来るだけ良い画質で記録したくもある。

「デジタルという新しい酒を入れるのには新しい革袋(規格)」というスタンスは、歓迎すべきだろう。だが、マイクロフォーサーズでもE-P1のような「レンズが交換できるのですから」というだけでは、ちょっと違いはしないか。前話で書いた通り、フォーサーズやマイクロフォーサーズは、コンパクトデジカメからすれば画質や応用性で勝るが、ポケットには重くやや大きい。APS-Cや35mmサイズ撮像素子カメラからすれば撮像素子面積相応に画質が劣るが、軽くて小さい。そして、私にはどうしても、今のマイクロフォーサーズの半端さが割り切れない。

そんな半端な感じを払拭する、マイクロフォーサーズならではと納得させられる一台がいずれ、どこぞからリリースされることだろうという期待を込めて、あぁでもない、こぉでもないとあれこれ考え巡らせる楽しみを抱きつつ、今は様子見として、人柱役はパス。それにしてもまぁ、良くもこれほど、腑に落ちないあれこれで悩ませてくれたものだ。