発売1周年記念
2007年3月28日に発表されたカメラだから、ちょうど1年。誕生日おめでとう!!のような評価タイミングになった。僅か数ヶ月で消え去る製品が多いこのジャンルでは長寿製品と言えるのかも知れないが、どんな製品でも買ったからには、そう簡単に消えて欲しくはないというのがユーザーの正直な気持ちではないだろうか。最新のファームウェアアップデートが3月6日と、未だに改善が続いているのも素晴らしい。長寿であることは…
持つ喜びの一要素でもあるのだし、数ヶ月で消えるようでは「そんなにアカン商品を出したんかい」と感じもする。デジカメもそろそろ、製品寿命が長くなるほど熟成していて良いはずである。カメラは、電化製品のノリでコロコロと宗旨替えできるようなモノではない。なぜなら、感性に呼応してストレスを感じずに撮れるカメラというのは、使い込むほどにより馴染んできた結果のそれでもあるからだ。沈胴式の疑問
昔から、日本のカメラメーカーは沈胴式を嫌ってきた。コストが掛かるし精度を出すのが難しいからだ。世界的に見ても、35mmではRollei35くらいだったように思う。それが、樹脂ボディが採用されだした頃からだろうか、コンパクトカメラでモーター駆動の沈胴式が採用され始め、デジカメではいつの間にか沈胴式だらけになってしまった。
リコーはDC1で平たいボディを採用し、小さい筐体で光軸方向の距離を稼いだ。ミノルタはプリズムで光軸を曲げた。だが、世の趨勢は沈胴式に傾き、撮影アングルの自由度が高い上に光学系に無理のないスイバル型も、現行製品はなくなった。これは私にとって非常に不思議な傾向。どうして、光軸の精度を再現し続けるのが難しい上に壊れる可能性のあるメカニカルな繰り出し機能をこうも多くのメーカーが採用するのか ─ 未だに納得が行かないでいる。ホールディングではカメラを顔に押しつけて使っている人はまずいないし、その時にボディを下から支える左手の指が自然に操作できる鏡筒部分に一眼レフや連動距離計式のようにピントや露出を調整するような機構もない。だから、鏡筒は純粋に光学系が必要とする長さを稼ぐためだけに繰り出されている。さらに、GX100レンズ
その沈胴式鏡筒に収まっているのは7群11枚のレンズ。いかに3倍どまりで開放F値も変わるとはいえ、樽型歪曲は普通の広角系につきものだが、コンパクトカメラのそれとして見たら、歪曲の度合いは僅かだし、RAWモードで見られる周辺部の倍率の色収差などもDSLRですらあり得る範囲のもので、JPEGでは見事に修正されている。
他の要素を多々加えて考えれば、事後処理でこうも簡単に補正可能なことを、コンパクトカメラのレベルで撮影時に、大きく重たく高価なレンズを備えてまで絶対に終わらせなければならない被写体が、このカメラの用途にあるのか、とも思う。或いはそれは、銀塩で言えばある意味、暗室技術の否定に相当するのではないのだろうか。価格とサイズと撮影結果のバランスは、とても良いと思う。
撮るのにいつも助かっているのは、やはり手ぶれ補正機能。オフィス犬の散歩の途中でパチリとやっているのだから、三脚立ててなんてやっていられないし、脚立を担いで行けるはずもない。普通に仕事をしている途中、夕方になって抜け出すので、どうしても暗くなってくる。でも、画質は落としたくないから、ISO設定は低め。それが、手ブレなしで写ってくれる。
レンズのせい? それとも…
レンズ性能は良いのだが、CCDのほうはちょっと物足りない。ノイズっぽい画質だったので、ISO80の設定を常用にした。ファームウェアでもどうにかなるのかも知れないし、RAW現像アプリの能力にも大きく左右されるのだけれど、このクラスのCCDとしてはやむを得ない限界なのだろうか。JPEGとRAWの画像比較をやると一目瞭然なのだが、JPEG画像では倍率の色収差やノイズが非常に良く補正されているものの、だからといって再加工再圧縮すればやはり、非可逆圧縮の悲しさで当然、圧縮ノイズが増えてしまう。
dp1とGX100を比較したブログなどで、良く細部の描写力をとりあげてレンズ性能の差異だとしているが、それは撮像素子にも起因するように思う。RAW現像アプリがプアなら尚更だ。
そして、撮像素子に起因する問題という面では、そろそろdp1ネタも新鮮味がなくなってきたけれど、FOVEONと他のCCDやCMOSを同じ土俵に上げて良いのか、という疑問を感じる。FOVEONだから綺麗、FOVEONだからシャープ、ということと、レンズが良いからということの二つの要素は切り分けて考えたほうが良いだろう。どうもdp1の評価ではFOVEONの評価よりもレンズへの評価のほうが多いように思えるし、そこでGX100が損な評価を下されているような感じもするのだ。MTF特性が示すように、主観を除けば両者はコントラストと分解能においてはほぼ互角ではないかと思う。とすれば、ノイズの差は必然的に撮像素子の差だから、FOVEONには大きな将来性を感じる。だが、それとdp1の商品性は別な次元の話だ。肌身離さず持ち歩くサブ機材として見て、私は二の足を踏んでしまった。そりゃあ良いに超したことはないけれど、いかに画質が良くったって、思ったような絵がストレスなく撮れなくてはちょっと困る。ブログのアクセスを稼ぐには良いネタだったのだろうが、写真を撮る道具 ─ コンパクトデジカメとしての用途から見て、もうちょっと成長してから触手を伸ばしたいと思う。ひょっとしてそのうちGX100
-IIが出たらFOVEONが載ってたりして…。(ナイナイ…)
GX100
にフード
レンズフードはクリアな像を得るのに不可欠なものだ。だが、GX100の発注時点でフードは販売店欠品。どうも本体の数に合わせてフードを出荷してはいないようだ。そぉいえば昔Nikon E5000を買った時にも、フードは欠品だった。
良くできたフラッシュや操作性など
GX100のフラッシュとその操作方法には、感心した。フラッシュを飛び出させればONで、その発光方法をボタンで選択する。マクロは選択ボタンから呼び出して、ワンプッシュでオン、再プッシュでオフ。これらはCoolpixS51では2ステップの操作だったから、明らかに優れていると感じる。頻繁に使う機能をユーザーのモードとして記憶させボタン一つで呼び出すなどの機能は一般的だが、文字モードがそれに含まれているのもユニーク。さらには、曲がったそれをまっすぐに補正する機能まであるあたりは、コピー機のリコーならではだろうか。いずれの機能も、さほど迷わず、すぐに呼び出せる。
これまで内蔵フラッシュなんてたいしてアテにもしていなかったけれど、GX100のフラッシュは結構使える。先ず、光軸の上に位置しているので、影が汚く脇に出たりしない。加えて、特筆すべきはソフト発光モード。接写時に明るすぎて飛んでしまうことへの対策が狙いだったようだが、例えば夜間に室内で愛犬の写真を撮って目が妙な色になってしまうのも、角度によってある程度防げてしまう。我が愛犬カブの場合には緑色に輝いてしまうのだが、それが見事に抑えられた。愛犬家のカメラにソフト発光は必須じゃないの、と感心した次第。もちろん、普段の撮影でもデーライトシンクロで補助的に光らせるなど、使いでは大きい。
拙者接写が得意です
接写はこのカメラの得意分野。リコーのデジカメは伝統的に接写性能に秀でていて、GX100でも踏襲されている。得意なところだけに、正直言って驚異的。こんなに寄れるカメラがあるもんか、と呆れるし、最初は一瞬「そっか、撮れるんだった」と思い出してから狙ったほどだ。それが、前述のソフト発光機能を得て、益々磨きがかかっている。
接写といえばもう一つ、書類の複写といった用途もあるだろう。ビジネスツールとしてのデジカメという存在を仮定すると、斜め補正は案外使いでのある機能かも知れない。再生時にボタン一つで斜めから撮ってしまった被写体を正面からの画像に補整してしまう。画像処理アプリケーションでデジタルシフトをかける手間が、カメラの中で完結しているわけだ。
電池
デジカメは、電池がなければただの邪魔な塊だから、電池寿命は重要な要素。GX100をこの三日ほど試していて呆れているのが、その保ち具合。実は未だに再充電していないが、バッテリー表示は満タンのまま。それに、万一切れたとしても、単四電池が使える。これは非常に大きな特色で、僅か2本のオキシライド乾電池で30枚の撮影が可能だから、もし充電池が切れたとしても、そこらのコンビニに駆け込めば応急の用が足せる。おかげで、いつもならすぐに発注する予備の電池を、今回はまだ発注しないで、代わりにありあわせのエネループ2本でもしものバッテリー切れに備えている。

正方形画面
正方形のモードがあるのもGX100の特徴だが、残念ながらRAWモードではなく、JPEGのみ。
その正方形画面と組み合わせて上から覗く二眼レフ風の操作を可能にするVF-1は、アングルファインダーが直付けされる感じ。アイシェードのスリットだけで支えているアングルファインダーとは違い、ホールディング性は格段に良くなる。しかし、目をくっつけていないといけないので、二眼レフやスイバル型のそれとは趣が異なってしまう。
モニタ画面に欲しい方眼線の表示
ところで、私は今回ポケットに入れておくカメラとしてNikon CoolpixS51からスイッチしたわけだが、困惑していることもある。なくなって初めて分かるそれは、S51にあった方眼線の常時表示がGX100にはないこと。構図決定の上で、方眼は一つの目安となり、また、水平を出しやすい。プログラム変更で何とかなるものなら、ファームウェアアップデートで是非追加して欲しい機能である。S51はあぁみえてどうして、RAWが撮れないことは不満だったけれど、あれほど小さなカメラだから、いつも持っていられるという意味では重宝していた。そこそこモノになった絵もあったわけだが、それを助けていたのが、方眼表示。些細なことのようで、結構大きな違いなのだ。簡単に実現できそうな方法では、液晶保護フィルムに数本、縦横の罫線を引いてあるものを貼り付ける、というのはどうだろうか。GX100
のモニタ枠部分には僅かな隙間もあるようだ(実は、ゴミがひっかかって取るのに難儀した)から、そこに噛ませて固定するような、罫線入りのプラスティックの板をオプションで備える手もありそうだ。
(* GX100では方眼のある画面だけを表示することはできるものの、その際には他の情報は表示されない仕様になっている。これが同時表示されれば…の意味。)
スタート時の焦点距離
もう一つ、あったら良いのに、と思うのが電源をオンにしたときの焦点距離設定変更。ワイド端から始まるのだけれど、この開始位置を50mm相当だとか望遠端相当だとか、変更できると有り難い。この理由は、後述の“一番使う焦点距離”にも関係している。スイッチオンの次にいつもズーム操作をすることになる私は、折角ステップズーム機能まであるのなら、起動時には自分の好みの焦点距離で立ち上がって欲しいと思うのだ。
ブラケティング
露出のブラケティングが±0.5と±0.3だけなのも、惜しい。というのは、HDRなど作って遊ぼうかというとき、この程度のブラケティングではしっかりそれという感じのモノにならないのだ。まぁマニュアル露出で変更すれば良いのだけれど、自動で±2くらいまではブラケティングできたほうが、そんな用途では便利だし、冬場の雪など反射率の高い被写体を考えても、そのくらいの幅は欲しいと思う。
撮っていて楽しい
GX100は不思議なことに、撮っていて自然と「楽しい」と感じてのめり込むカメラである。どうしてだろうと考えてみると、一つには欲しいと思った機能が備わっていてすぐに取り出せること。ズームに始まりMFや露出調整など、作画意図から出る欲求をちゃんと受け止めてくれる。ある意味、欲張りを叶えるカメラなのだ。
単焦点のレンズが備わるカメラだけでの撮影には、修行のようなところがある。その焦点距離でなんとかしろ、とカメラが撮影者に命じてくるようなもので、撮影者は足で寄り、足で引く。トリミングで焦点距離を代用し、或いはその焦点距離を前提にした絵作りをする。初心者のうちは35mm一本で街を歩いてみろ、と言われている、その所以だ。35mmは、広角的な表現と標準のように歪みの少ない絵作りの使い分けが可能な焦点距離だから。この意味では、28mmは標準的な用途には自ずと短いが、広角としては今ひとつ画角が狭く、半端な長さになる。Rolleiflexなどの6×6カメラの標準80mmも、35mm換算で40mm〜50mmだ。
しかし、ズームがこれほど普通に使えるクオリティになった今、そこでは違った使い方、習得方法が出てくる。GX100のステップズームがそれを如実に示しているのだが、要は自分が最も使っている焦点距離を逆に撮影結果から割り出して、自分にとって自然な焦点距離を掴む、ということ。レンズ交換のできる機材なら、先ずズームで撮り続けておいて、追って、最も使う長さから単焦点レンズを揃えれば、使用頻度の高いものに合理的に投資できる。
片や、DSLRや銀塩カメラなど本気で撮影するカメラが既にあるような熟達者の場合、サブとして肌身離さず持っておくカメラという位置づけでは、逆にズームが欲しいとか、身についた技巧から出てくるちょっとした欲が出るときがあって、それが満たされないことには気が済まない。そして、その取り出し作業が煩わしいときの苛立たしいこと。GX100はそうしたちょっとした欲を満たすように出来ているようで、だから、撮ってて楽しいと感じるのだろう。使おうとした機能がすぐに呼び出せて、ストレスも感じない。例えば、マクロのオンオフはワンプッシュ。フラッシュの発光モード変更も連続プッシュ。そんな設定の組み合わせを自分なりに組み立てて、二つまでは自己流のファンクションとして記憶させられるから、頻繁に使う機能・組み合わせならすぐに呼び出せるように仕組める。痒いところに手の届いたデジカメである。
作例
トラフィック節約を兼ねて、FlickrにGX100で撮影した画像もアップしているので、作例はそちらも御覧いただきたい。
蛇足
1 ─ リコーフレックスよ、もう一度
正方形CCDが量産されているわけではないのだとしたら、もし作ったら、大きな撮像素子の左右を捨てるようなことになるのだろうか。パソコン批評誌に執筆していた頃にも幾度か書いたことだけれど、正直言って、二眼レフのデジカメは本当に「あって良い」存在だと思う。一つには「撮った瞬間を見ていられる」からであり、一つにはアングルの自在性。そして、良く言われるように「被写体におじぎをしながら撮影することになることで、被写体を睨み付けず、敬いつつ写せるから良い」という精神性。老眼にはさらに、構図を決めるのに離してファインダーを覗いていられるのが有り難い。二眼レフでしか得られないこうした特性を、Rolleiが出してはいるトイカメラのような存在ではなく、横長にトリミングしても構わないほど大きな正方形撮像素子で実現できたら、どんなに素晴らしいだろう。ノスタルジックな外観が醸し出すファッショナブルな雰囲気ということもあるだろう。やはり二眼レフ。「リコーフレックスよもう一度」と、夢見ることしきり、だ。
2 ─ 選外だったCanon PowerShot G9
ところで、RAWに対応したカメラとしてはもう一つ、CanonのPowerShot G9があるが、前のレポートで書き落としていたので、書き足しておこう。なぜ選択肢からG9を落としたかというと、GX100よりも100グラムも重たいから。上着のポケットに入れておくと、片方だけ下がってしまいそうだ。だから、唯一台のカメラなら「まぁ、あり」でも、サブとしては「ない」かなぁ、と感じた次第。スーツのポケットなどでも違和感なく入れておけるというような条件をつけた場合、GX100
は恐らく限界サイズ。G9ではワイシャツの胸ポケットに入れても生地が引きつってしまいそうだ。ちなみに、SIGMA dp1は250グラム。GX100
は見かけのわりにとても軽い。撮影性能で落としたのではなく、他の要素で落としているわけで、写真性能が劣ると判断しているわけではない。RAWの撮れるコンパクトという位置づけは、妙に難しい意味あいを持つのだ。
もしハイアマチュアやDSLR予備軍の人たちがとっつきに選ぶ一台という位置づけなら、存在感や操作性も意味を持ってくるから、G9は逆にホールディングを優先して、もっと大きく、昔のキャッツアイキャノネットQLくらいの大きさがあっても良かったように思う。
Posted by nankyokuguma at 14:56:08. Filed under: Photo
