最大の原因は、メモリ制限。2GBも実装したというのに、756MBを越えて使おうとしないのだ。まだまだ1GB以上メモりが余っているというのに… まだまだ1GB以上メモりが余っているというのに、イラストレーターなどで、メモリ不足でファイルが開けないなどということになる。(アプリケーションの仕様に原因がある)
さらに鬱陶しいのが、ウィルスやSPAMなどと、その対策。Windows Updateは頻繁過ぎる上に、Auto Updateをかけていれば仕事の合間ですら警告してくる。これは作業をイメージしてかかっている流れに水をさす。幾度も経験すると、うんざりだ。防御のための農豚藪医は、ついこの前アップデートしたのにと思うほどのサイクルで期限を宣言する(歳食って時間のたつのがやたらと早く感じるようになったせいもあるのだろうが…)。それも、古いバージョンは順次アップデートできなくなり、新バージョンへの変更を余儀なくされている(古いバージョンのものは、再インストールでまた使えてしまうため、ウィルス定義のアップデートサポートが順次打ち切られる)。では、新しいヴァージョンにしたらどうなるか。前述の756MBのうちの相当量を農豚藪医が占領して、他のアプリの立つ瀬はもっとなくなる。まるで、ウィルスやオンライン攻撃からマシン自身を防御するだけのために、マシンを立ち上げているような有様だ。加えて、電子メールに送信チェックがかかるにあたって、自分がリプライするメールで送信を拒否されるケースが存外に多く、とうてい、すいすいと仕事をこなしてはいられない。
実は、ここまではNTからずっと使ってきたWindows2000の話。検証をかねてノートで使っているXPになると警告はさらに鬱陶しく、汚染から身を護る手間はもっと増える。そもそも、クリーンインストール状態からセキュリティアップデートが完了するまでの間ですら攻撃にさらされるのだから、健全なマシンを得られているのは、単に運が良いだけなのだ。
今時のWindows2000/XP+PentiumIVのマシンではさらに、熱の問題も顕著。自家製デスクトップマシンでHDDが半年の短命に終わったのは、古いケースを後生大事に使っていたがための、熱の悪影響。PentiumIV以後の高熱を発するCPUやグラフィックカードを備えると、古いケースでは冷やしきれない。悪い事に前述のメモリの問題から、HDD上の仮想メモリアクセス頻度が上がるため、CPUとグラフィックカード、そして高速化したHDDの三つどもえで発生する全ての熱で内部温度は上がり、これがHDDの寿命を縮める。Intel社サイトを探ってみると、同社はPentiumIV以後の冷却効率に絡んで、ケース内部のレイアウトにまで推奨規格を提示している。私のマシンはCoolerMaster製の総アルミケースにして、ようやく何とか連続使用できるところまで温度が下がった。側面に手をあてれば、その熱さが良く分かる。今や、ケース全体が放熱版と化しているのだ。
ノートパソコンでも熱問題は大きく、例えば私のHP製ノートには冷却ファンが三つも備わっている。音楽を聴くのにJBLスピーカーが有り難いと思って選んだのだが、とんでもない間違い。ファンの音がうるさくて、とてもじゃあないが、音楽を聴いてられる代物じゃあなかったのだ。膝に載せて使うと低温ヤケドをする恐れすらあるよぉな製品もあるそうだから、この熱問題、ただ事じゃない。
かたやG5。負荷がかかって温度が上がるとファンが自動的に動き出し、そのときはそれなりの騒音だが、それは一時のこと。普段は黙りこくったように静かだ。アルミケースが必須なのは恐らく、これほどの速度になればOSを問わないのだろうが、OSを搭載マシンごとデザインし、冷却効率を突き詰めてリリースできるのだから、どうしてもAppleが有利だ。
世の経営者は、社員がバリバリ働いていればこそ、自分の所得を棚に上げてでも給料を払う。しかし、混雑してロクな速度で落ちてこないアップデートファイルとそのインストール・再起動なんて作業をやっているのにまで、給与を払いたいだろうか。さらには、フリーズしてパァになった仕事をやり直しているような、そんな生産性のない作業も労働賃金の対象だろうか、と憤懣やるかたないのではないだろうか。マイクロソフトに担当社員の給与分の請求書をまわしたいくらいだ、とまで思うかどうかは人によるだろうが、そのアップデートのために自社用に組まれたソフトウェアが動かないとか、継続して動かすのに調整や再プログラムが必要で、また費用がかかるとなったら、どうだろう。
ゲームなど遊びだけなら、動かなくなったところで実害はない。けれども、仕事で使うマシンには、ある意味、命(生活)がかかっている。企業や自営業者自身の命がかかった仕事の道具として、こうした体たらくのもので許されるわけがない。こんなものの上に、私たちの未来が築けるのか。
Windowsだけを使っていた頃は、連日「ゲイツめ〜」と罵らない日はなかった。一度、Intel Bunnyの人形をSan Joseの科学博物館の売店で見つけて買おうかと思ったが、それが呪いの人形よろしく針を刺す対象となる様を想像して止しておいたことがある。後日、やっぱり買ってきておけば良かったと思ったのは、言うまでもない。
林檎に変えてからというもの、最も精神状態を安定させてくれているのがメール受信。先ず、前提となるウィルス防御の影響が少ない。.MacサービスでたまにアップデートされるVirexでの防御は、その存在をほとんど忘れていられる。メールソフトには、アカウントが少ない方なら標準のMailで十分だろうし、私のように多くのアカウントがある場合はGyazMailのような良いアプリが、OS X対応・COcoaフレームワークベースで出てきている。
FTPではTransmitが秀でる。テキストエディタのjEditと合わせて、Windowsに比べて作業効率は大いに改善された。さらに、リモートファイルをjEditでローカルファイルのように編集できるようになる(内装エディタでの作業は今でも可)というから、有り難い(WindowsではEmEditorとEmFTPがこれを実現したばかりだ)。
一方、良いことづくめでもない。駄目な典型は標準IME「ことえり」で、標準のままでは、今どき、これほどアホなIMEがあるだろうかと思う。だが、辞書をいじればまぁ、我慢して使えないこともない程度には改善する。おおよそ、こりゃアカンと思うものは、MacOS9までの環境から引き継がれた日本語環境ならではのものに多い。OS Xにならなかったら、Macに変えることもなかっただろう。Mac愛好者は贔屓の引き倒しよろしく甘やかしてきたんだなぁ、と感じるところだ。
良く、使っていて楽しいOSだからMacが良いという評価を耳にする。しかし、私が楽しいのは思う作業が円滑に進んだとき。トロい標準マウス(感度が鈍過ぎてスイスイとは動かない)や打ちにくいキーボードはとっとと変えているけれど、何より、きちんと思うところをデスクトップに具体化する過程を支えてくれてこそのOSだと思う。だから、今日のOS Xの安定性やメモリ活用能力といったところには信頼を寄せているし、その安定性あればこそ、23inシネマ+21inで実現した、広々とした液晶モニタによるデスクトップもフル活用できている。
あとは、ボケ茄子がなんとかなれば快適この上ないのだけれど、なかなか百点満点とは行かないものだ。オフィスを起動していてオカシイ挙動にぶつかる─のはWindowsと一緒。メモリの限界まで使い切ってくると不安定なのは、どれも一緒。Adobeが本腰入れてMac版をチューニングしてくれれば、快適指数はもっと上がるんだろうになぁ…
Posted by nankyokuguma at 13:11:00. Filed under: Apple
