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Sunday, July 15, 2012

2012年7月11日号のニューズウィーク日本版は、「禁断のロンドンガイド」。オリンピックを前にしたこの特集の中に、「消えゆくパブと繊細なリアルエール」と「完璧な一杯は過去の遺物に?」という二つの、食にまつわるエッセイが掲載されていた。

消えゆくパブのほうは…

パブで醸されたリアルエールが失われつつあるのを嘆いた話。うむ、実に嘆かわしい。が、こちらは、料理の美味しいレストランとパブが一緒になった進化型パブの出現を紹介していて、パブの男社会は縮小するかも知れないが、女性客を惹きつけているというから、美味しい地元食材の料理に美味しい自家製エールとして、どうやら残りそうだ。

完璧な一杯は、ティーバッグに占領されつつあるイギリスの紅茶事情を紹介。食への関心は高まったものの、ティーバッグに圧されて、伝統的なティーポットで入れる紅茶が廃れ、「紅茶をこよなく愛する人々は、今では『古いイギリスの遺物』と化してしまったようだ」という。

これを読んで、昔、C.W.ニコル氏の著書の何かで、ガンコなウェールズ人の例として、お祖母様が「イギリス人はなんでこんな妙なものをこさえるんだ」と文句を言いながら、ティーバッグを一つひとつ、鋏で切ってはティーポットに入れていたというくだりを思い出した。願わくば、ウェールズにはまだ、ティーバッグの嵐は吹いていないでいて欲しい…というのは、無理だろうな…。

同氏の冒険家の食卓という本には、氏が交換留学生としてフランス旅行した際に、ボルドーで、お湯にちょっとティーバッグの下端をひたしただけのものを出された話がでてくる。そのホストの「お袋さんは、自分がこの奇妙なイギリスの風習を知っていることがご自慢だったに相違ない」というほど、かすかに色がついた湯に砂糖とミルクを入れただけで、ビスケットもケーキも何もなかったそぉな。それでも、気抜けした笑顔とはいえ、笑顔で応じた氏はやはり、どこかやさしいウェールズ人だ。

teacup with teapot

折角のティーポットがバッグのタグで台無し

カフェオレの朝食に軽い昼食、そして、ティーだけのティーで三ヶ月という留学生活を思って身の毛がよだつ思いだったというその話。英国用法のティーには、夕食 = afternoon teaやhigh teaといった意味があるのだが、食事という文化の一端がティーバッグに冒されていると思えば、ただならぬ思いも理解できる。私だって、自宅での家族のだんらんにペットボトルのお茶は、欲しくない。日本茶のティーバッグだって…いや、麦茶のティーバッグですら、心の奥底には「なんだかなぁ」という意識がある。

世の中、手軽になる、便利になるというのには、たいてい交換条件が潜んでいるものだ。さて、お茶が小袋に分包された代償は、なんだろうか。それは、単に風味や成分といったもの以上に、お茶を選び、入れて、器も人も季節も、何もかも含めて、その過ごす時間の値打ちではないだろうか。ティーバッグでなくては困る状況も、あるだろう。でも、急須やティーポットで大事に入れるお茶だって、大事にしたい。イギリスのそれだって、遺物になって欲しくはないし、ティーバッグを鋏で切り開くようなお方には、長生きしていただきたいと思うのである。