ドッグスレッド VS スノーモービル
あたりは静寂に包まれていた。好天ならではの冷え込み。時折吹く強い風が、まるでウィンドリバー・ネイティブアメリカンの神が我々の心を試しているかのように粉雪を舞い上げていた。
標高1万フィートを越える山々に囲まれたデュボイは、大陸横断鉄道の枕木の切り出しで生まれた町だ。 周囲は牧場が広がり、フロンティアの暮らしがそのまま息づいている。 日本からジャクソンホールまで、飛行機を乗り継いで飛んできた私たちは、初日を標高に順応するために費やした。 ウィスキー密造場があったことに由来するというウィスキーベイシンは、ビッグホーン(大角羊)の生息地。 生態や人との関わりの歴史などを学べる博物館で基礎知識を仕入れてから、野生の実物を見る。 急斜面を飛び回る身軽さに見とれていると、時の経つのを忘れる。
最初の宿のWapiti Ridge Ranch B&Bは、ダンツラー夫妻が営むカントリースタイル民宿。個室の可愛い飾り付けは奥様の趣味。テキサス出身の豪快なご主人と、料理上手の明るく優しい奥様のお世話になる。3日間、犬橇ガイドのトムとディブが、交代で犬橇ツーリングのスタート地点との間の送迎もしてくれる。 マッシャーの乗り物アメリカンピックアップ改造のドッグトラックは、一目でそれと分かる。 宿のドアから白銀の世界を走る橇までの直行便といったところだ。
犬橇を駆る朱は、神戸に住む十七才の女子高生。もちろん、犬橇もスノーマシンも、今まで実際には見たこともなかった。シェパード犬の尻尾に掴まって歩きを覚えて以来の大の犬好き。犬のいる暮らしは小学生までだったけれど、橇犬たちはすぐにそれを見抜いたようで、ケネルに着くやいなや、すぐに朱にまとわり付いた。
犬橇は、寒冷地の重要な移動手段だ。自動車やスノーマシンといった近代の交通手段が機能しない時はもちろん、石油が枯渇しようが、大量の新雪にあらゆる道路が遮断されようが、犬橇なら何とかなる。息の合った優秀な橇犬たちが、信頼するマッシャーに力を貸した時、そのチームは白銀の世界で最も優れた走破力を発揮する。
日本では北海道・旭川の人たちが、ショートトラックで競技を楽しんでいる程度だけれど、元来、犬橇は競技ではなく、こうした小旅行や運搬のためのものだ。 古来、イヌイット族は犬橇での移動・運搬に頼ってきたのだし、ゴールドラッシュのアラスカの物資輸送力も犬橇だった。
100頭を超すアラスカンハスキーを飼っているスノードグラス氏のケネル、ワシャキーアウトフィッティング。 大レースを征した有名なマッシャーたちの犬の血を引く、優秀な橇犬たちをブリーディングしている。 その日のコンディションや性格で選んだ犬たちに一頭づつハーネスを着せ、犬橇から伸びた中心のライン(ギャングラインという)から枝別れしたラインに順番につないで行く。 ボクを連れてって、いや私よ、とでも言うように、ケネルの犬たちが騒ぐのは、家庭犬が散歩に行こうよと騒ぐのと同じだ。 やがて、準備完了。
「OK! レッツゴー」と掛け声をかけると、猛烈な勢いでダッシュするチーム(マッシャーによっては「ハップ」とも言う)。 左へ曲がるにはホー、右へはジーと言うのが合図。 ちゃんとできたら「ザッツ・イット!グッドドッグ」と褒める。 長い時間をかけてトレーニングされた優秀な犬たちだからこそ、マッシャーの掛け声に忠実に反応する。 止まるには「ウォー」と、低い沈着な声で言う。 かなりの距離を走ってから止まると、犬たちは体を雪にこすりつけてクールダウンする。 犬の体には汗腺がなく、 体温調整ができないのだ。 唯一、手の平にあたる部分にだけ汗をかくが、ここに雪玉ができてくると足を痛める。 このため、必要に応じて犬たちに履かせる「ブーティ」というフェルトのソックスがある。 これを履いた犬たちが、また可愛いらしい。
犬橇を走らせると、聞こえるのは犬の足音と息遣い、そして橇の雪を滑る音だけ。 グライダーやヨットにも通じる静粛さに魅せられる。
犬橇を止めておくにはスノーフックを雪に埋める。 言わば犬橇のパーキングブレーキだ。 長い間停め置くには、さらに木立にロープを結ぶ。 橇は木やアルミなどで出来ており、用途に応じて長さなども違い、使い分けられる。 そして、コントロールにはスキーやスケートにも通じるバランス感覚が求められる。
左右にタイトに曲がる時は、その前に体重を目的とは反対の方向へかけて橇を曲げ、犬たちよりも内側を回ってしまうのを防ぐ。 橇は時速25kmほどで走るが、犬は曲がるからと言って減速しないから、橇は猛烈な勢いで方向転換する。 うっかり油断すると、橇から振り落とされてしまう。 私たちも二度ほど落ちた。 頭っから吹きだまりに突っ込んで、真っ白な顔を上げて大笑い、と、これも楽しさのうち。
三日間連続で、犬橇の小旅行。ロッキー山脈のトレイルで、言うまでもないゴージャスな景色を楽しみながら、朱はマッシングを堪能した。標高一万フィートの高地で、登り坂になると犬と一緒に、橇を押しながら駆け上がる。さぼっていると、犬は「なんで私たちだけ働かんとあかんの」という態度に出るから、そののんびりした見かけとは違って、結構ハードではある。駆けている音がしないと、すぐに後ろを振り返り、「なにサボってねん」という顔をする。 けれど、だからこそ、犬好きな人にとっては、犬たちとの一体感を味わえる、充実感に満ちたスポーツなのだ。 また、乗客よろしく橇に乗っているのは、寒い上にゴツゴツと突き上げられて、あまり快適ではない。 マッシャーとして操縦し、雪を蹴り、橇を押して走っていれば体も暖まる。
上りはそうでも、下りは荷が軽いから、当然速い。 三日目のトレイルではかなりの急傾斜を下るところがあった。 まるで真っ逆さまに落ちて行くような坂にさしかかっても、犬たちは躊躇いもせず全速で駆け下りる。 橇のブレーキを目いっぱい利かせて、ギャングラインのテンションを保つ。橇を引いて、重心は後ろ。こんなシーンではジェットコースター顔負けの迫力だ。
ちなみに、ポルカという、1〜2頭の犬を小さな橇に繋ぎ、マッシャーはスキーを履いて牽引されるスポーツもある。 これなどは、多くの犬を飼うのが難しい日本でも楽しめそうだ。また、硬すぎる舗装から犬の足を守る靴(ソルボセインなどを底に貼ってナックル病を予防する)のようなものができてくれれば、これをローラーブレードでやる手もありそうに思う。そうなれば、雪のないところでもトレーニングが積めるわけだし、あるいはこれ自身もスポーツとして楽しめるかも知れない。 アラスカやワイオミングなどでは、夏季の訓練にはATB(バギー)を使っている。バギーを橇代わりにして、犬に牽かせる。犬というのは本能的に引っ張るのが好きな動物で、だから訓練されていない犬は散歩のとき、懸命に引っ張る。飼い主はひきずられて大変だが、本犬は遊んでいるつもりなのだ。 だから、犬橇を動物虐待だというのは的外れ。 使役犬は、その使役についてこその使役犬だ。 それが、 飼い主と一緒にTVなんぞを見ていて楽しいはずがないではないか。 犬の知能は最高で人間の7才程度まで発達するといわれている。平均的には4才程度だろうか。 だから、時折足し算ができたり、ハイと答えたりする犬が出てくるのは当たり前のことなのだ。
有史以来人間と暮らしを共にしてきた犬たちとチームを組んで橇を走らせる楽しさ。プリミティブでワイルドな犬橇マッシングを経験するなら、ワイオミングこそ格好の舞台だろう。
身長を越えるほど降り積もった雪や凍った河川を越え、凍った湖上を爆音を轟かせて走る。アイロンドッグ(鉄犬)とも言われるスノーモービルは、犬橇とは正反対の、近代技術が生み出した乗り物だ。人間のあくなき欲求は、雪原をレジャーフィールドに変えてしまった。ワイルドでダイナミックなこのマシンは、夏はロディオに興じるワイオミングの本物のカウボーイたちをも虜にした。
トライアングルC牧場は、冬のスノーモービルレジャーの拠点の一つ。 毎年最新型スノーモービルを導入、雪のロッキー山脈の旅に人々を誘う。レンタルのみの場合は成人で運転免許がないと保険が利かず借りられないが、ガイド付きの場合は14才からOK。 本物の牧場暮らしがそのまま楽しめるのがここ。 夏は乗馬,で冬はスノーモービル。 牧場主のキャメロンさんは生まれついてのカウボーイ。 ガイド役のリチャードさんは彼の息子のようなもので、ロディオのチャンピオン。 冬は雪に閉ざされていた牧場が、今やスノーマシンでレジャー拠点になったのだ。 周囲の美しい自然を満喫するスノーマシンの旅に、毎年、全米はもとより欧州からも、多くの人が訪れる。
500ccのエンジンを搭載した最新型ポラリス社製スノーモービルは、極めて快適な乗り物だ。前に備わる橇部分のサスペンションが独立懸架になってからというもの、そのコントロールの容易さが飛躍的に向上した。 最高速度は100kmをゆうに越える。 アラスカに、アイロンドッグレースという競技がある。 犬橇のアイディタロッドと同じ、アンカレッジからノームまでの1069マイルを往復するこのレースのマシンを撮影するテレビクルーを乗せたパイロットは、パイパーカブが追いつけないためにセスナに飛行機を変えなければならなかったというほどだ。
旅先で楽しむのに、以前は、せめてモトクロスくらいは経験していないと難しかったように思う。けれども、最新型なら朱のように初体験でも、ロッキー山脈のトレイルの小旅行を経験できる。オフロードバイクの経験でもあれば、乗ってすぐに馴染めるだろう。
トライアングルC牧場のメインキャビンで、窓の外に草を食むムースの一群を眺めながら朝食。 腹ごしらえを済ませると、整備調整の済んだ最新鋭スノーマシンが並べられ、出発を待っている。
朱はちょっとしたレクチャーを受けた後、すぐにトレイルへと駆り出された。初日の走行距離約40マイル(64q)。旧型なら無茶なと思うところだが、最新のマシンはそれほど御しやすいのだ。
足元にはエンジンルームの暖気が出てくるし、グリップにはヒーターが備わっていて、乗り心地はそれなりに快適。パワフルなツーストロークエンジンで、バージンスノーにシュプールを描きながら駆け上るのは爽快そのもの。もっとも、これまた日本国内だと何かと物議を醸しそうだから、さっさと渡米して楽しむに限る。毎年新型に入れ換えてリーズナブルな値段で楽しませてくれる業者など、日本では望むべくもなさそうだし…(但し、オウン・ユア・リスク・ユアセルフで、貴方が負担すべき責任は重たいけれど)。
スノーモービルが作った轍などがあるから、トレイルを走らせるとスノーモービルは左右に振られる。 が、それを制御しようと逆らってはいけない。 逆に、スノーモービルが振られるに任せて、肩の力を抜いてリラックスしているのが良い。 また、ある程度速度を上げたほうが安定して走る。 新雪の上では、スノーモービルが雪に潜ってしまう前に前進するように、さらに速度を上げる。 その時の気分は、まるで雲の上を飛んでいるかのようだ。
一日目のツーリングで丸一日スノーモービルで自由に走り回り、二日目にはかなり馴れていた朱は、三日目のイエローストーン国立公園のツーリングでは、時速40マイルキープで90マイルを往復した。 雪に閉ざされたイエローストーンの自然や動物たちを目の当たりにするツーリングは、スノーマシンならではだ(ご高齢の方々などのためには、雪上車でのツアーもある)。
丸一日遊んで牧場に戻ると、食事の用意が整っている。 一日の出来事を語りながらの美味しい日替わりメニューの夕食はまた格別。 食事を終え、暖炉の脇でのんびりと過ごす。 パソコンのキーをたたき、デジタルカメラ・リコーDC1の画像を取り込み、WEBページを仕立ててアップする。 牧場の人たちが、一緒に画像を見たいと集まってくる。リコーDC1のAV出力を使って、テレビに接続。 一枚一枚に話しが弾む。 トロトロと薪から上がる炎の暖かさに包まれ、ハイカントリーの夜はゆっくりとふけて行くのだった。
寝起きしている1906年築のキャビンと、ログで作られたメイイキャビンの間を朝晩行き来する。 朝夕は時としてムースに出くわす。 まさに大自然の中に暮らしがある。 夜は、見上げればそこには降るような星空。 「手がとどきそう」と朱。 標高が高く空気も澄んでいる上に、都会のような光害がないので、星が近く感じられ、父娘二人で、連日、寒さを忘れて見とれていた。
朱は両方を体験して「犬が好きだから世話するのも楽しくて、犬橇は面白い。スノーモービルはハードだけど、迫力満点。 新雪の斜面を駆け上がる気分が最高」と、どちらにも満足した様子だった。もう一つおまけを言えば、旅の間に培った英語のヒアリングセンスがそのうち実になってくれる…かなぁ。
行くトレイルの先々の景色の素晴らしさは両者同様。あとは、貴方の好み次第。犬橇か、鉄犬か。はたまた両方を満喫するか。もちろん、フィールドはクロスカントリースキーにも開放されている。あらゆる冬のアクティビティが詰まったワイオミング州デュボイの冬が、日本のアウトドア大好き人間の皆さんの訪問を待っている。
注1・マッシング=犬橇を御す(操縦する)こと・犬橇を走らせること
注2・マッシャー=犬橇の御者(ドライバー)
©Daisuke Tomiyasu 1997